その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

家庭内の男女差別教育が、社会にはびこるセクハラや性暴力の原因である

家庭内で母親が女の子より男の子を優先して育てる。いや、無意識にでも男の子の方に期待し頼るだけでも、男尊女卑思想を子どもたちに植え付けることになる。私はホームドラマで妻が、ソファにどっかりと座った夫にお茶を出すシーンを見ただけで具合が悪くなる。昔、私も会社でお茶出しを強制されて、病気になり会社を辞めたことを思い出します。

 

 

会社内で平気で女子社員を性的にからかえる男は、母親からそういう教育を受けているはずです。私が不思議なのは、そういう男尊女卑の教育を女である母親がすることです。母親は自分を低い地位において、ついでにほかの女性たちまで引きずり下ろすわけです。だから、息子は会社で女子社員を平気で侮辱するようになるのです。

 

電車内の痴漢、路上の強姦もその延長線上にあります。

 

セクハラ、痴漢、強姦はなぜ起きるか?それは、男尊女卑教育を受けた男が何らかのストレスを受けた場合、始まります。最初はおずおず、見つからなかったり被害者が口を閉じてしまうと、だんだん大胆になります。そもそも性暴力を働く男は小心で卑怯な人間が多いのです。気が小さいから、ストレスの元にガツンと面と向かって戦えないのです。そして、弱いものを探してはうっぷんをはらします。暴力とセックスは脳内の近い部分がつかさどるから、混同されてしまいます。性的に相手を支配しねじ伏せると、支配欲が満たされ、自分を弱体化したストレスの元に勝ったような達成感を感じるといわれます。

 

被害者はたまったものではありません。それまで、社会を人々を信頼して生きていたのに、晴天の霹靂。私は、覗いても下が見えない高い崖から突き落とされたように感じました。2年間何度も崖から付き落とされてるうちに、社会と人間に対する信頼感は粉々になりました。私は手負いの獣のように暗がりでうなって生きている子どもでした。

 

加害者たちにとっては、単なるストレス発散、気晴らしにすぎない性暴力は、被害者の人格とアイデンティティを粉々にし、被害者は人間としての存在すら危うくなる。

 

母親たちはそういうことまで考えて男尊女卑思想を息子や娘に吹き込んではいないでしょう。父親たちはもしかしたらもっと確信して男尊女卑思想を叩き込んでいるかもしれない。自分の優位性が担保されるありがたい思想として代々受け継ぎたいからだ。既得権は絶対手放さないぞと。

 

そういう思想を持っているのは専業主婦と限らないことの不思議。現に私の母親は高校の教師を定年まで勤めながら、商売にまで手を染めて夫より収入が多かった。それなのに、家事一切をやり、子育てをやり、おかずを一品多く父親につけた。「男が女よりエライ」と誰が決めたのだろうか。父親は母親をなぐり馬乗りになって首を絞めた。自分より収入が多い大学卒の妻が、高校卒の自分より口も達者なことに我慢ならないからだ。とばっちりが妻によく似た長女にとんだ。実父は自分に似ていた学校の勉強ができない妹には優しかった。そのせいで、妹は父親に悪い感情を抱かず、父親の味方になり、姉を徹底的に攻撃するようになる。妹は差別のメカニズムに気づくこともなく、めでたく男尊女卑をすんなり受け入れた。

 

「中学を出たらお前は女工だ」と勉強している私の背中に怒鳴る。ご飯を食べながら「働かざる者、食うべからず」と箸をもっている私をにらみつける。日中は普通の会社員、夜は娘の布団に忍び込む。それが、実父の姿。晩年は碁会所に通い、愛人をもつくりのうのうと暮らしたそうだ。自分さえよければいい、そういうチンケな人間だった。

 

父親や叔父や兄や弟から受ける性的虐待は、このようなメカニズムで起きた。もし、知らずに「男の子は元気に」「女の子は女らしく」などと、従来の慣習のまま無批判に子育てをしている親世代の人々は、すぐに改めてほしい。

 

 

 学生の頃は加害者の保険証を使うしかなくて、病院で名前を呼ばれるたびに卒倒しそうになった。本来の病気と名前を呼ばれて起きる暴風のような情動とで。
 

 

 私は自分がトップになってお茶くみを廃止することができて、自営業をやって本当に良かった。私は誰かの扶養になっていることがとても嫌だった。病気でも障害がある訳でもない大人が、なぜ養ってもらうことを恥ずかしいと思わないのだろうか。早々と男尊女卑思想の呪縛から解放されるには、こんなひどい体験をしなければならなかったのだろうか。逆に運よくそういう辛い体験をしないで通り抜けてきた私の妹のような人間もいる。そして、姉と妹は体験が違うために絶対に分かり合えない。それが悔しいだけです。