その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

社会用「ツヨ子」と本性の「ナキ子」、2面性のシステムがサバイバルに役立つ。つなぐのは「ピエロ」。

いつの頃だろうか。人間がとても嫌いになった。ずいぶん前、幼稚園のときは近所の子どもたちと遊んでいた。小学低学年のときは引っ込み思案だったが、子どもの集団に紛れていることは苦痛ではなかった。いや、集団に同化して色をなくす心地よさを感じていたような気がする。

やはり、あれだ――小学4年で始まった実父からの性的虐待。原因はそこしかない。小学高学年の記憶ではすでに他者は敵だったから。

 

 

とか言う私はどれだけ性格が悪いのか。自分では分からない。こちらの好き嫌いと同じように、私を好いてくれる人と嫌いな人の差がくっきりといつも別れるのは面白いなあと思っている。

 

 

 小学4年、実父からの性虐待が始まって少しして、私は自分の中に人がふたりいるような気がしていた。怖がりでいつもジメジメ泣いている子、絶対負けたくない強がる子。
弱虫の方を「ナキ子」、強気のほうを「ツヨ子」と仮に名付ける。今でも外出するときはできれば「ツヨ子」で行きたいと思うが、うまく出てこないことも多い。

 

 

それと、もう一つのシステムを子どもの私は創りだしたようだ。それが「ピエロ」の存在。小学4年ですでに「ピエロ」の存在に気づいていたから、性虐待が始まってすぐにいるようになったと思う。「ピエロ」は「「ナキ子」が泣いていると出てきておどける。「ナキ子」はピエロに手を引かれて友達の輪の中に戻り、そこで「ツヨ子」と交代する。大体そういう動きだったような気がする。けれども「ツヨ子」にはすぐに怒るという欠点があって困った。そういう時も「ピエロ」が「ツヨ子」を笑わせ怒りをしずめていた。

 

ただし、「ピエロ」を使いこなすのは初めの頃大変だった。私の第三の人格である「ピエロ」は実態のないソンザイで、いわばすべてを破壊するトリックスターなのだ。だから、「ツヨ子」の中にも「ナキ子」の中にもいる。いついて悪さをする。もともとおとなしく消極的な私は「ピエロ」のひょうきんさにうんざりして、やめてほしかった。しかし、言うことを聞くようなやつではないから、私は似合わない冗談も口にするようになった。うんざりしながら。

 

本当は何もしたくない。何も言いたくない。動きたくない。笑いたくない。それって、子どものうつ病なのかもしれなかったが、学校の通知表には担任からいつもきまって「努力がたりません」というセリフが書いてあった。「努力してるんだけどやる気がでないの、なんとかしたい」と思っていた。

 

「ピエロ」は、トリックスターらしく大いなる愚か者で権威を笑い、何物にも属さない。だから私である「ツヨ子」や「ナキ子」の中にいてさえ、私の言いなりにはならなかった。すばらしくゴーイングマイウエイだった。私は時々今日は「ピエロ」でいけばいいのか、ほかの自分でいけばいいのか悩んだ。「ピエロ」でいるときは、とても疲れる。「ツヨ子」も疲れる。本当は「ナキ子」が一番しっくりするのだが、学校生活を「ナキ子」では送れなかった。

 

 

その頃、このメカニズムが理解できていなかったから、本当の自分は誰?と思ってそれなりに悩んでいた。もちろん誰にいう訳にもいかない。親はとっくに信用していなかった。

 

しかし、その彼(多分「ピエロ」は男だった)のおかげで、狭い社会の規範から抜ける方法を覚え、私は性虐待のダメージをそのまままともに食らわない術を知ったかもしれない。トリックスターによって、人間社会でまともに生きようとしないことを教えてもらったのだ。好奇心のままに動くこと、人生はしょせんゲームにすぎないことを「ピエロ」と語り合った。

 

自分を遠くから見る心象風景や、子どもっぽい同級生たちを笑顔で見ている風景を思い出す。「ツヨ子」や「ナキ子」は時として深刻になり、死にたいなどと言う。実際おかしな薬をのんだし、手首も切ったが、すべて狂言で茶番だということを「ピエロ」は知っていてじっと見ていた。私が本当は生きたいのだということを、私の中の「ピエロ」は見て知っていたから。

  

 

大人になってしまって仕事に明け暮れていた頃は、毎日毎日「ツヨ子」を引っ張り出して出て行った。仕事に出かけることそのものがストレスで、いつもいつもくたくたに疲れていた。ときどき、玄関からどうしても出られなくて、そのまま玄関にうづくまっていることもあった。ワインを飲んでチョコレートをかじって血糖値を上げた勢いでドアを開ける。

 

なかなか出てきてくれない「ツヨ子」を使うのは大きな負担だった。その頃は「ツヨ子」を引っ張り出してくれる「ピエロ」は、もはやいなくなっていた。私の本質は引っ込み思案な「ナキ子」であり、「ツヨ子」は性虐待を受けている「ナキ子」を助けるために出てきたキャラクターなのだと思う。多重人格というものではなく、生きるために私自身が作り出したシステムなのだと思う。大人になった私は二層構造で生きた。

 

 

しかし、二人に共通していることがあった。人嫌いということです。こればかりは、どうにも辛かった。人の話し声にイライラする。一人暮らしを始めると安アパートの人の物音が気になる。とにかく人の気配が嫌なのです。こういうところをさして、カウンセラーは私の性格が悪いと指摘したのでしょうか。だったら性格直す方法を教えてくれてもよさそうなものだが。対処法を一緒に考えるのが仕事でしょうが。ディスるだけで終わるって、どういうこと?

  

 

仕事をリタイヤした今は、精神的に余裕ができたせいか、あまり人に会わなくてよいせいか、嫌いきらいの感情も薄らいでいる。自分から好んで人に会いたいとは思わないまでも、必要な時はこちらから声をかけるし、人と会えばそれなりに楽しい。今は純粋に会いたい人にしか会わなくてよい、極楽のような生活なのです。長生きしたから得られた極楽です。ぜひ、みなさん長生きしてみましょう。

 

 

そんな私が、嬉しくてふるえてしまう人々との交流がある。私のブログを読んでくれる人たちとのネットやメールでの交流だ。大人になってからは、「ピエロ」は出てこなくなっていた。「ピエロ」は子どものピュアなリリシズムが大好物なのだ。大人に なって日常生活の垢に汚れてしまった私は「ピエロ」にとって魅力も興味もない存在になり下がったのだ。それでも、懐かしい「ピエロ」を思い出してなにかしあわせな気持ちです。