その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

いまさらながらの自己紹介。性虐待をうけましたが、家を買い長生きしています。

 「にほんブログ村」に参加したら、とたんにPVがふえて1日のPV数がはじめて130を記録しました、有難うございます。新しくブログに読者登録をしてくださった方も増えて、嬉しいです、(人''▽`)ありがとうございます☆

 

こんなマイナーなブログを読んでくださる方には感謝しかありません。

 

 

 

 

なのでここで、きちんともう一度自己紹介したほうがよさそうだと思いました。 考えたら、自己紹介らしき記事を書いていませんでした。('◇')ゞ

 

 

はてなブログをスタートしたのは、2018年1月でした。まる1年が過ぎ来年以降も、月3~5回のスローペースながら、続けていこうと意欲は満々です。読みにくい部分もあるかもしれませんが、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

2018年6月には、55年という歳月をかけた「もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて」という本をを出版しました。今アマゾンの年間アワードに参加していて入賞した場合は賞金が出るそうです。

 

2019年4月に入居者募集を開始する「虐待を受けても自立をめざす強い意志を持った少女のためのシェルター」(シェルター名は未定)の資金に使わせていただきたいので、入賞した~い!

 

 

あっ、経済的自立をしそびれたすこし前少女だった方も、真剣に自立を望むなら相談してください。私の本を読んでくださったうえで、連絡を頂きたいと思います。

 

 

 

と、このはてなブログでいつも叫んでいるので、以前からお読みのかたは「またかよ、」と思われていると思います。

 

 

 

 

でも、今回は新規の読者さんのために、

 

しつこいようですが、私の本の宣伝をいたしま~す。ブログのアフィリエイト画像から買っていただけると、本の代金の3%がアフィリエイトでシェルターに寄付されます。さらに、アマゾンのカスタマーレビューを書いてくださると、年間アワードの入賞に近づきます。入賞の選考基準は本の販売数レビュー数だからです。

 

審査の締め切りは3月上旬なのでもうすぐ締め切りで~す。2月末までにはご購読📚とレビュー♪♬を、ぜひぜひよろしくお願い致します。<m(__)m>

 

 

 

入賞した暁には、このブログで大々的に、発表いたします!!ジャジャ~ン!🎆🎆

パチパチ!!💐💐

 

 

 

 

 

 

自己紹介 

 

 

10歳から12歳まで、実父から性的虐待を受けました。子ども時代は、実父と実母から身体的虐待、心理的虐待を受け続けていました。。。。。終わらせたのは私自身です。詳しくは本で。。。

55年前の話です。。。

 

 

なぜ、私が今になってそのような話をするかというと、私のようになったら手遅れだとお知らせしたいからなのです。現在は医学生の教科書にも性虐待や虐待のことは載っていますが、私が性虐待を受けていた55年前には「性虐待」という言葉もなく、私は自分がされていることをどう表現してよいかもわかりませんでした。表現方法が分からないのですから誰にも言えず、そのまま放置されていました。

 

その状態がもっともよくないことは、今は自明の理。性虐待を受けたらいち早く、誰かに言う。とにかく逃げる。--------これですよね。そして、今では虐待を訴えてもだれもあなたを叱りません。保護してくれるでしょう。

 

 

私の時代は誰も、何も、ありませんでした。 

 

 

だから、私は勉強することに逃げました。のろまで不器用な私でも、がり勉の成果でだんだん成績が良くなり地域で一番の公立高校に入学したのですが、両親からの身体的・心理的虐待は高校を卒業し大学入学のために実家を逃げ出すまで続きました。

 

 

一浪して、某有名私立大学に入学してからは、加害に明け暮れていた夫婦はおかしいくらい低姿勢になりました。私は当時から親を捨てることを考えていました。2度とあの家には戻らないと決心していましたが、大学の学費を慰謝料として出させるために、在学中は帰省したこともあります。家の中に入ると、とたんに体調が狂いうつ状態になりました。

 

 

 

とにかく、私はあの家族から逃げ出すことだけ考えて子ども時代を過ごしていました。

 

 

 

ところが、なんとか大学を卒業できて働き出しても、生きにくさは増すばかり。。。

 

 

 

虐待の後遺症は遅れてやってくるのです。当時は誰もなんの知識もなかったのです。専門家は一人もいませんでした。適切な治療が受けられなかった私は、パニックや欝をなんの症状なのかも分からず、自分の性質のせいだと思い込んでいました

 

 

実際民間のカウンセリングを受けたときも、生きにくいと訴えたら男性カウンセラーから「性格が悪いからなおしなさい」と言われて、とても怒り落ち込みました。自分が悪いのだから、ひとりでひたすら転げまわるように生きるしかないのか、と諦めたのでした。

 

一か所だけ、AT(自律訓練法を施術している研究所に言ったときだけは虐待のことに触れることができました。そして彼らは理解してくれましたが、深層心理のとても深いところにあるので危なくてこれ以上触れられないと言われ、1か月で終了となりました。

 

 

 

 なんのケアもなく、

希死念慮にさいなまれ、辛い、苦しい、しにたい、のあげく自殺未遂。感情は未発達で混乱し、頭は鉄なべが乗っているように重く、つねにボーという反響音がしていました。部屋で自分一人で、教えてもらったATをするのが精いっぱいでした。

 

 

両手が動かなくなり24歳で精神科に1か月入院しました。主治医は、父親と同じくらいの年齢の男性精神科医でした。父親がしたことをいくら訴えても「嘘だ、甘えるな」と怒鳴られ、「おとうさん、お母さんを大事にしなさい」とイライラ説教をされました。。。。42年前のことです。。。

 

 

 医者に信じてもらえなかったから、14年かけて38歳で実父からわび状を取りました。証拠があるから今度こそ信じてもらえるだろう。信じてもらえず人格を否定されるという2次被害は相当に苦しかった。だから、性虐待のことを社会の人に知ってもらおうと活動を始めました。

 

私は結婚も子どもも諦めていました。自分の子どもができたら、そこにエネルギーを取られる。もともと少ないエネルギーは底を尽くに違いない。そして、私は子どもを連れた公園デビューも幼稚園のママたちとの付き合いもうまくできないと確信していました。

 

 

私は性虐待をうけてからというもの、女性的要素に違和感を感じるようになっていました。エプロンをかけて乳飲み子を抱く女というステレオタイプを想像しては、ひとり鳥肌立てているのです。

 

 

 38歳のとき、

虐待に取り組むある中年男性精神科医から、虐待の専門職を対象とするシンポジウムで話してほしいという誘いがあり出かけましたが、私はその会場でその医者からマイクをとおして、身体的特徴をあざ笑われました。これから子どもの虐待に取り組もうとしている100人の専門家の前で、これから子どもの虐待に取り組もうとしている精神科医に。

 

 

その瞬間に私は社会に向かって発信する勇気と力を奪われ、再び恐怖心に呪縛された世界へもどりました。。。。。。28年前のことです。。。

 

 

 

それから28年間、私はもう虐待について話すことはなく、ただひたすら働いていました。ときどき見聞きする性虐待に関わる「専門家」たちの動きや、子どもが虐待死したというニュースに接しながらも、心の中は闇、うつろな日常、つづく沈黙。

 

 

人間としては生きていなかったかもしれません。なぜ生き延びたのかというなら、怒りの炎がどうしても消えなかったからだと思います。

 

 

 

思うに、働きながら性虐待のことを考え訴えるのは、とても難しいのではないかと思います。

 

私は性虐待のことを考え始めると、その時の光景と感覚が蘇り、感情は暴風雨のように吹き荒れ、とても仕事ができるような精神状態は保てませんでした。仕事をして食べてシェルターのための家を買うには、虐待の光景を封印し、沈黙の闇に深く深く沈むしかありませんでした。

 

逆説的ですが、将来虐待に取り組むために30年間の沈黙の時間を必要としたのです。いま、現役で仕事や結婚生活をしながら虐待に取り組んでいらっしゃる方は、そうとうなエネルギーを消耗しているはずです。自分を大切に休み休みでやっていっていいと思います。

 

社会に向かって発信する時期と言うのは、人それぞれ違うと思うのです。私も、半年発信しては沈黙し、また発信しては何十年も沈黙をし、今また発信しようとしています。何事も自分中心で考えたほうが、実はうまくいくと実感しました。

 

 

 

さて、医者にどんなに侮辱されようとも、私の怒りの炎は消えませんでした。強い風にはためくことはあっても、ろうそくの土台のろうは減ることはなくエネルギーを供給し続けたのです。そのエネルギーがなんだったのか、今でもわかりません。

 

 

 

そのおかげで、今があります。

 

 

 

 

 

yagawafuyu.hatenablog.com

 

 

 

 

 

多分本当は生きたかったのです。幸せに穏やかに生きたかったのです。けれど、そういう幸せを描いていては生き延びられなかった。怒りのように強い閃光を放つエネルギーが必要だったのです。

 

 

 

。。。。現在私は66歳になり、念願の年金受給が開始され、リタイヤ生活も1年が過ぎました。本にすべてを書いて。。。。。6か月たちました。

 

 

今、私はとても穏やかです。なにもない一日が愛しく、ひとりの生活を楽しんでいます。料理をし野菜に水をやり掃除をする。身の周りの物たちを整理し、始末して、すがすがしく居心地がよい。。。。。なによりです。

 

 

。。。あとは、自立をめざしている少女がひとりでもシェルターから巣立ってくれたら、もうなにも望むことはありません。

 

 

 

 

自己紹介の続きは、アマゾンサイト

「もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて」

の本の解説に詳しく書いています。

 

※本の中には、性虐待の赤裸々な表現もあります。性虐待当事者の方はフラッシュバックにご注意ください。 

 

もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて

もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて

 

 

 


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