その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

栗原心愛(みあ)さんを悼む。公的機関に虐待被害経験のある職員を採用しよう。

2019年1月24日、栗原心愛(みあ)さんが父親の勇一郎に殺された。母親のなぎさも共謀したとして逮捕された。

 

遅い。もう遅い。

 

心愛さんは死んでしまった。殺すなら心愛という名前をなぜ付けた?

 

 

 

学校が下手にアンケートなどとるから、心を許してしまった。信じて打ち明けたのに、学校も教育委員会児童相談所も加害者側についたのだ。

 

心愛さんは父親の待つ拷問部屋に専門家の手で戻された時、凍り付いて絶望したに違いない。父親と専門家は異口同音に「家にかえれるね。お父さんは何もしていないよね」と心愛さんにしつこくしつこく言ったのだ。取調室で自白を強要するように。心愛さんは、朦朧とし苦しくて怖くて「はい」と言ってしまった。そして拷問部屋へ連れ込まれた、専門家の手で。父親は拷問目的で、会社から2日間の休暇を取った。はらわたが煮えくりかえっていたに違いない。

 

心愛さんの死亡原因が特定できないという。死亡原因はかかわった大人全員に見捨てられ、生きる気力を失った、それが原因です。

 

そして、専門家と称される人間たちは父親勇一郎の凶暴な性格を目の当たりに見ていたはずだ。自分たちが怒鳴られなくなるなら、少女一人の命などどうでもよいと考えたのだ。いや、言語化すらしていなかったかもしれない。ただぼんやりと仕事をして定時に帰ることだけを考えていたのかもしれない。

 

この事件のどうにもやりきれない辛い部分は、ここなのだ。最初から誰も相手にしてくれないほうが良かった。

 

50年前、私の子ども時代の虐待は誰も気にすることはなかった。だから、自分ひとりで密かに策を練り、逃げ出すことができた。あの時、中途半端に生ぬるい同情をする人間がいたら、私は力をそがれてしまったろう。

私は父親と母親がしている虐待を隠しとおした。なぜなら、人に言った場合の親からの報復を恐れたからだ。メンツを潰された親が子どもに報復するのは当たり前だと分かっていたからだ。

 

現在は、「虐待されたら人に話しましょう」というスローガンは確かに浸透し、それで救われている子どももいるのも確かだ。救われている場合は、子どもが自ら警察に駆け込み、親と断絶する強い意志がある場合が多い。気の弱い子ども、優しい子どもはそうはいかないのだ。専門職ならそんなこと分からずにどうするのだ。

 

 

 

専門機関と言われる場所で働く専門職と言われる人間たちは、聞いて聞かぬふり、見て見ぬふりをしたのだ。

 

それなら母親同様、その罪は共謀罪だ。

学校の校長、担任、教育委員会の委員長、児童相談所の所長は逮捕されるべきだ。

 

 

そして、被害者の置かれている状況を熟知して判断できる能力を持った職員を配置できなかった国の責任を問う。私の経験してきた専門職の世界も素人集団だった。そのことは本の中でも書いているし、事あるごとに語ってきたが生ぬるかったのだな。

 

 

まだましだと思われる児童養護施設においても、職員は保育士か社会福祉士などの資格を持っているだけ。資格を持っているだけでは不十分だ。以前にも書いたが、その人間的資質だけが子どもを救うのだ。

 

児童相談所は早急に公務員の持ち回りを止めよ。水道整備をしていた部署から児童相談所に移動させるのは止めよ。

 

職員が足りないというなら、虐待された経験がありながら持ちこたえて社会活動をしている人間を採用しろ。水道局よりよっぽどましだ。

 

ずいぶん前から(私が自分の体験を隠し児童養護施設に勤務していた頃)、児童養護施設などの公的施設に、虐待の体験者を職員として採用しないという方針があった。子どものケアに適性のある職員は、親子関係が豊かな円満な家庭環境で育った人間であるとされた。

 

しかし、苦労を知らないそれら若い職員が、子どもの闇の世界を理解するのはとても時間がかかるだろう。愛情豊かだからこそ知りたいと勉強しても実感の伴わない机上の空論、自分の育った環境の上に立った生ぬるい理想論になるかもしれない。

 

また、やる気のない職員は、そもそも勉強などしない。子どもの闇は闇のまま抑えつけてお終いになるのだ。今回の児童相談所がその例だ。

 

 

 

私は被害体験がありながら社会福祉士資格も有しているが、愛と福祉的資質に欠けると自認している。だからこそ、分からないと思うからこそ子どもの心の声に耳を傾けた。

 

1990年の東京の子どもの虐待防止シンポジウムで、私が精神科医に暴言を受けたときにも、会の終わりに100人の専門職の前で「被害者としてこれからの子どもの虐待防止対策に何を望むか」と聞かれ、私は「愛です」と答えた。会場のあちこちから失笑のようなものが聞こえた。

 

 

その体質こそが、今回の心愛さんの死を招いたのだ。

なぜ、分からない?

 

 

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