その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

羽馬千恵著「私、虐待サバイバー」、その他 本の紹介

久々の更新なので、近況報告します。

47都道府県図書館寄贈計画がコンプリートして、張っていた気持ちがいっきに緩んでしまいました。頭ぼんやり、目はチカチカ、OA機器は見たくない状態が続きました。な~んにもしたくない日々。

そうはいっても、しなければならないことはあるしで、のろのろやってました。

 

知り合いの元市議会議員に電話したらすぐ自治会長に会うことに。

自治会長と面談した結果、住居不法侵入者がいる件について自治会に提出した要望書が自治会長の眼にすら触れず、握り潰されていたことが判明。使うことがあるかもしれないと思い、再印刷した要望書を持っていたので、自治会長に渡し読んでもらうことができた。

 

私は怒り心頭!

自治会長は穏やかな紳士的な人で、自分がやることを理路整然と提示しました。

自治会役員の一部と思われる人間がなぜ要望書を隠したか、を追求し真実を明らかにする。

②そういう自治会の体質を改善する。そのうえで、今回の件を会報でどう扱うか議論し、結果を私に知らせる。

と、以上の状態で待っているところです。詳しくは、次回「災難シリーズ第3編」で。

  

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羽馬千恵著「私、虐待サバイバー」(ブックマン社 2019年)

 

羽馬千恵さんは実名で自分の虐待体験、その後の症状と生活を冷静な筆致で書いています。

人格が乖離してしまい、攻撃的な黒いチエが出てくる様子は、私にも心当たりがあり、けれどもひた隠しに隠していた部分です。ちょっとしたことをきっかけに暴力的に攻撃衝動が湧き起こっていた若いころを思い出しました。私がその衝動が仕事中に出やしないかとびくびくしていたのは、怒る自分が怖かったのです。

 

「私、虐待サバイバー」を読んで、自分が攻撃性に悩んでいたころを思い出したのは収穫でした。私は自尊心を傷つけられることがあると、瞬間で怒りが爆発しました。

怒りを回避できる時もありましたが。でも、怒りを回避したとしても後々似たような状況になると増幅して出てきました。怒りが荒れ狂った後は必ず長く続くうつ状態に入ります。

 

つい最近も、シェルターの庭に不法侵入を続ける中年オヤジを大声で怒鳴りつけて以来、うつ症状に悩んでいる最中なのです。若い頃ほど激しくないのが、救いです。

 

羽馬さんは、大学院まで進学しそれなりの仕事につく能力があって、文章も簡潔、自己洞察も理性的なのに、乖離により黒いチエが出てきてしまう。子供のころの虐待被害は理性では制御しきれない傷を残し、本人ではどうにもできないときがあることを知って欲しいと書いています。主人格が優しく公明正大なので、本来の羽馬さんは優しく聡明な子どもだったに違いありません。

  

そして、ここが肝心なのですが、私と同じように「年齢が大人になってしまった」虐待を受けた子どものケアをもっと考えてほしいと願っています。

全く同感な思いで、私も育ちあがってしまった性虐待被害者のためのシェルターを始めたのでした。

 

なぜシェルターを作ったかというと、 

私の人生が、虐待から抜け出て自分一人で自分を育て直していく作業に明け暮れた60年だったから。誰かが人生を立て直す手伝いができれば、被害者はもう少し早くましな人生を歩めるかもしれない。

 

制御しきれない怒りを理解してもらえるわけもなく、抑え込んでひた隠して生きるしかなかった。話せない、理解してもらえない人生ほど辛いものはないのです。誰か一人でも「つらかったね」と共感してくれたら、その後の人生はどんなにか楽になるでしょう。

 

傷から噴き出るシュトルムウントドランクを内にかかえ、まるで理性があるかのように振る舞う。

私はもともと気弱な生気に乏しい優しい子どもだった。ときどき顔をのぞかせるそのような子どもが私の内側に存在している。しかし、嵐と衝動が本来の私を吹き飛ばしてしまう。長らく忘れていたその嵐をこの本は思い出させてくれた。荒れ狂う私も、また私だった。

 

本の後半に、羽場千恵さんと精神科医和田秀樹さんとの対談が載っています。和田医師は、同じ精神科医斎藤学(さとる)について批判しています。

 

我が意を得たり!

やはり、斎藤学はおかしいのだ。子どもの虐待防止シンポジウムで、私に言葉の暴力をふるったのは斎藤学(さとる)医師です。

虐待に取り組む専門家が少ない時代だった。その言葉の暴力によって、私は性虐待被害者としてのサバイバルを28年も阻害された。

 

斎藤学アダルトチルドレンを拡大解釈して発表したために精神医療界が混乱したと和田医師は言っています。斎藤学が誤った解釈のAC本を量産するものだから、ちょっと親ともめたぐらいで何でもかんでも流行りのACにしてしまう人間も増えて、実は精神医療界はその時期混乱したけれど儲かったと。

そして、自我の弱い人々は患者として斎藤学の洗脳を受けることになる。以降、信者が信者を獲得するようになる歪んだ組織(トラウマサバイバーズユニオン)を作ってしまった罪は深い。

実際、斎藤学は「金の鉱脈を見つけた」と言っていましたから、そうとう儲かったのでしょう。

 

アメリカでの本来のアダルトチルドレンとは、アルコール依存症患者を親に持つ子どものことです。

 

 

 

 

 

 

伊藤和子弁護士著「なぜ、それが無罪なのか!?」(ディスカバー携書 2019年)

 

 

私が理解できないことがあります。

少しでも抵抗したら」、

「抗拒不能」ではないから   →加害者は無罪

 

全く抵抗しなかったら」、

「同意」したことになるから  →加害者は無罪

 

この矛盾分かりますか?

 

何をどうしたところで、性暴力加害者は無罪になるこの日本。いや、加害者すら被害者すら存在していないのでしょう。

 

なぜそうなるか、社会通念と異なる原理が法律を支配しているから。法律の世界では「性暴力は暴力ではない。性暴力という犯罪はない」ことになっているからです。ある政治家が「セクハラ罪という罪はない」といった通りの概念がまかり通っているのです。

 

この刑法がやっぱりおかしい。112年前の明治時代の女性を縛っていたこの刑法を、現代に当てはめるには無理があるのだ。

 

 

私たちの願いは→

「全く抵抗しなくても」加害者は有罪

「同意しなければ」  →加害者は有罪

 

 

これです。

 

2020年に刑法が見直しされることが決まっています。今度こそ、普通の社会通念に沿った令和の法律に進化させて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポルノ被害と性暴力を考える会編「森美術館問題と性暴力表現(不摩書房 2013年)

 

 

 1980年代、20代か30代の頃でしょうか。スペイン旅行をした時見た光景を語ってくれた人がいました。あまりにショッキングな話なので、ここでブログに書くことは差し控えます。

克明に描くと、それによって傷つく人が出てくるかもしれません。

それは犯罪を目撃した時の話でしたが、その当時の私は聞いても何もすることができませんでした。

 

人の心に傷を残すような表現は文章であれ、絵画であれ、表現するべきではありません。ですから、わたしもその話を表現しません。

 

 

表現の自由」とは、被害者が出る場合は制限される。

それが「公共の福祉に反しない限り」と憲法に明記されている理由です。

 

従軍慰安婦像を見て、だれか心を傷つけられる人はいるのでしょうか。

画家丸木夫妻の、人間がどろどろになってさまよっている原爆の絵を見てだれか個人的に傷つくのでしょうか?

いるなら、表現の自由は制限されるべきです。

従軍慰安婦像や丸木夫妻の原爆の画については、少なくとも私のアイデンティティーは傷つきませんでした。

  

 さて、話を戻します。

そのスペイン旅行の話を聞いてから何十年もたった2013年に、私はそのとき聞いたおぞましい話と酷似した光景を、ふたたび否応なく見せられてしまうことになりました。

 

仕事の切れ目に、私はいつもチャンスとばかり社会活動をします。いろいろな会合に積極的に参加し、公民館や町内会の地域活動や政治家の応援をするわけです。

 

 

2013年にも仕事の切れ目がありました。 

上記の本を編纂した「ポルノ被害と性暴力を考える会」の会合に2013年に誘われて出席しました。 

15人くらいいる中で、ある人が「こんな画集が出されている」といって披露しました。それが、例の会田誠の画集でした。そして、その絵を当時森美術館が展示しているというのです。

 

 

実は1980年代に私が聞いたスペイン旅行で見たという事件の光景というのが、次に説明する会田誠の絵と酷似しているのです。スペインの路上で見た被害者は日本人の若い女性らしかった、麻薬を吸わされているようだったと。。思い出しても震えます。

 

 

御覧になっていない人も多いかと思います。なので、どれだけ酷いものかわからないと話が始まりませんので、あえて描写します。 

 

森美術館に展示された会田誠の「犬シリーズ」の画は次のようなものでした。
作品が公開されているので、先のスペイン旅行の個人的な話とはスタンスが違うと思い、私が見せられた絵を描写します(吐きませんように)。

 

透けたスリップのような布をまとった現代アイドル風の大変美しい少女の両腕が肘から少し下で切断され、両足も膝から少し下で切断されています。そして傷口に包帯がぐるぐる巻かれています、血は見えません。少女の首には犬の鎖がはめられ、少女は、その切断され包帯で巻かれた四肢で体を支え、よつんばいになってさも嬉しそうに笑っています。

犬のように。

 

画風はイラストのよう。私は漫画は読まないし最近はどうなっているか分かりませんが、萌え絵という目と胸が異常に強調された画風には嫌悪しかありません。 

その下品な萌え絵を技巧的テクニックに長けている作者が上品なボッティチェリ風絵画に仕上げただけのように思えました。

 

精神性はどうか。性リビドーから発動される攻撃的性衝動をぶつけているようにしか見えません。同じ攻撃的性衝動をもっている人間がみたら、おそらく感応して心酔するのでしょうが、(例えば幼女4人を殺害し肉を食べた宮崎勤や殺した少年の口を裂き手紙をくわえさせた少年Aや綾瀬の女子高生コンクリート生き詰め殺人の犯人)、私はそういう性衝動は持ち合わせないので気持ち悪いだけです。

最近ゲームアプリでそういう女性を凌辱するものが見受けられますが、そこに描かれる女性はセックスするためだけに存在しています。歪んだ世界観ですね。

 

これは果たして芸術かポルノかと問われれば、私個人はポルノと答えます。 

 

「ポルノ被害と性暴力を考える会」が問題にしたのは、森美術館の見識でした。いくら展示場を奥に設置し18歳以下禁止のゾーニングをしているとしても、民間であるといえども、18禁にしなければならない絵を含む絵画展を4か月も継続し展示し、その間六本木ヒルズの周りには絵画展のポスターがあふれていたのです。

 

この本の中でも触れられていますが、美術館、博物館の役割の根拠法は憲法にあるとのことです。森美術館のやり方は明らかに公共の福祉に反していました。

 

私はこの本が出版されているのをつい最近知り購入しました。読んでみて、2013年に私が出席した、あの会合がこの本の起点だったと初めて知りました。

美術館と博物館に関心のある方はお読みください。位置づけが良く分かります。

 

 

 

 

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