その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

性虐待被害者とフェミニズム、被害者の社会性に寄り添う専門機関の紹介

~~~被害者が加害者を許す???   えっ??

 

10年くらい前からだろうか、性虐待被害者の中に明確に「被害者が加害者を許すべきです」と主張するグループが活動するようになった。

 

彼女らの主張はこうだ。(私は実際講演を聞きに行った)

「私は子どもを産んでから、加害者にもこんな幼い頃があったのだ(と胸が熱くなる)。彼(男に限定)は道を踏み外して私を性虐待したが、許して立ち直らせることが私の気持ちをも慰めてくれる。そう思ったら楽になったので、他のサバイバーにも加害者を許すことを勧める活動をしている」というような内容だった。反吐がでた。これは、男の視点に立った意見だ。

 

なんか変ではないですか?

 

と問うても、性暴力の経験のない人や男性にはピンとこないかもしれませんね。

 

聞き流してしまうと、耳障りがよくて理屈に合ってそうです。

 

実際、彼女らは講演会にマスコミをや専門職を呼び、顔出し名前出しで露出していますから、話題性に事欠かないしマスコミとしては記事を書きやすいことこの上ない有難い人たちなのです。専門職にしても、グダグダ言わず自分たちの仕事に協力的な彼女たちは苦労の少ない良いクライアントと言えます。

 

 

 

 

~~~何が変なのか解説します。

その1. まず、愛しいわが子に胸が熱くなるのは分かりますが、なんで、それが性暴力をした加害者への愛情に転換するのか。短絡すぎやしませんか?みんな生まれたばかりは赤ん坊だったけど、それがその後の犯罪の免罪符にはなりません。

 

その2. 自分がなにもかも許してそれで楽になるなら、どうぞご自由に。だけど、「被害者が加害者を許す」と無条件に言ってしまうことの他の被害者への弊害が大きすぎる。

 

その3. 加害者はそもそも自分が犯罪者だと思っていないそうだ。性虐待もしつけとか、ほんのじゃれあい程度しにか考えていない(自分は気持ちが良かったから)。百歩譲っていくらか悪いと思っても、子どもは自分の所有物だから支配して当たり前という論理に落ちる。そこへもって、被害者が許すなどと言ってしまうと、加害者の加害性が無になるのだ。加害者の意識の中で犯罪がなかったことになる。

 

その4. 加害者は許される必要性すら感じていないところへもってきて優しい言葉をかけてもらうと、ああそうか、またやってもいいのだね、と思うのだ。再犯を助長しているのと同じ効果なのだ。

 

その5. 性犯罪を減らす、なくす目的で刑の厳罰化が行われる方向にあるが、水を差すことになる。犯罪性を認識していないという性犯罪者たちに性暴力は犯罪であるという認識を持たせるためにも、刑の厳罰化は必要、急がれるべきなのに真っ向からブレーキをかける態度といえる。

もちろん、私も刑を重くしたからと言って犯罪者が反省するとは思っていない、そもそも悪いと思えない病気でもあるのだから。刑の厳罰化は加害者と性犯罪に甘い日本社会と司法の意識を大きく変えるために国際標準にして欲しいという流れである。

刑を厳罰化して出所後は一生罪を償わせ、強制的に治療を受けさせるのが理想です。被害者が許してしまったら、その流れもうやむやにされかねない。

 

その6. この間から少し触れていた精神科医とセラピストが上記のサバイバーたちと同じ主張を30年以上繰り返している。というか。後述するこの2人がサバイバーたちを洗脳し言わしめているのだ。

一人は麻布に開業しているさ〇〇うクリニック院長、もう一人はそのクリニックに10年くらい前に加入してしまった東京フェ〇〇ストセ〇〇ィセンターの平〇〇子です。

 

私の本「もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて」に名前を伏せて書いたこの2人はクライエントの主体性を無視した治療をしている(治療かどうかはあやしいが)。

 

さ〇〇う医師について名指しでその罪状を書いておられる方のブログもあるので、私も伏字ではあるが公表します。

 

加害者の無罪判決が4件も立て続けに出され。もう、待ったなしの状況なので私も優しい態度は、これからは返上することにしました。

 

kkumata.hatenablog.com

 

さ〇〇う医師はクライエントをマスコミなどに露出させることで、彼女らの承認欲求と快感に火をつける。露出を習慣化させて、そのうえで他のサバイバーを斎藤クリニックに引き込む人寄せパンダに使う。

寄せられて通院したところでろくに話は聞いてくれず、さ〇〇う医師お決まりの下品な自慢話と恫喝で終わるのだ。アメとムチでクライアントを洗脳していく宗教的やり方。

 

文章の才能があるらしく本を何冊も出しているし読むと流れるような文体と心にもないヒューマニズムをちらつかせるので、だまされますよ。論理も破綻はしていない、ただ本人の人格とは別物というだけのこと。

 

斎藤クリニック内にはトラウマサバイバーズユニオンという当事者組織が出来上がっているが、ここにはさ〇〇う医師にに洗脳された古参のサバイバーがいて新規に加入した被害者を支配するそうだ、ケアというものはなかったとのこと。

自助グループなのに大金を支払い放置された人の体験談を本人から直接聞きました。お金の無駄遣いが嫌な人は行かないほうがよいですよ。

 

さらに、シアブという性虐待に特化した自助グループも斎藤クリニック内にできた。ビデオで顔出しして話すことが回復と思っているグループである。このシアブの代表者で小料理屋をやっているけ〇こという人も、10年前の「被害者が加害者を許す」公演会で男側にたった話をとうとうと笑顔で語っていた。反吐が出る。

いつも同じ話でときどきマスコミに露出するが、まさにさ〇〇う医師のやり口。言っていることも、性虐待がなぜ起きたのかという考察は全くない。ただ、自分は結婚して自営業も順調で幸せだから他のサバイバーにも私のようになって欲しくてマスコミに出ているという。虐待当時の話は生々しいが、女性の自尊心と人権に対する意識が低いようで、考察が現実の世界で止まっている。今の子どもたちや未来への志向は見えない。

 

 

つまり「被害者が加害者を許す」発言をする人々には社会的視点がないのだ。もちろん女性の視点は皆無だ。

 

 

平〇はワンストップセンター東京の所長もしているが、おかしな発言にスタッフたちはげんなりしているが経済力があるのでいまだ所長のままでいる。この人も30年前、私に面とむかって「カウンセリングの目的は被害者が加害者を許すことにあります」とのたまった。

どの業界も同じだが、性虐待業界も人材不足でこのような風上にも置けない人間が専門家ヅラしてのさばっているのが現状である。

 

 

 

 

 

さて、文句ばかりでは発展性がないから以下に信頼できる人たちを紹介します。

 

~~~女性の視点で寄り添う相談機関

私の経験から、良いと思われる治療機関を挙げたので参考にしてください。こちらの3か所は女性の視点から女性に寄り添ってくれる相談先です。

 

 小西聖子(たかこ)医師

一般相談のご案内 | 武蔵野大学心理臨床センター

 

信田さよ子カウンセラー

HCC 原宿カウンセリングセンター

 

中島幸子(さちこ)カウンセラー

NPO法人レジリエンス

 

 

 

 

 ~~~フェミニズムとの出会い

 

さて、私は10歳でパーソナルイズポリティカルの原型を感じていたように思う。子どもだから言語化はできなかったが、理不尽な状況に体の芯から怒っていた感覚がある。

 

12歳で「家なき娘」のペリーヌの自立心を深く学んだ。捨ててあった缶から作ったスプーンを、私も使おうと心に決めた小学6年生。そして、その年父親を撃退した。撃退したからと言って、PTSDの障害は消えるわけではなかった。一度罹患したPTSDはしつこく海馬を攻撃するのだ。

 

 14歳でフロイトのエディプスコンプレックス理論を知り、「ヒステリー研究」を焼き捨てた中学2年生。

 

16歳でボーヴォワールに出会い、「娘時代」を常に携行し苦しい高校時代をしのいだ。

 

大学2年の時、田中美津さんが新宿リブセンターを作ったので私は少し通ってみたが、自分のことを語れる同じ側にいると思う女性たちの前ですら、まだ自分の体験を赤裸々に語ることはできなかった。リブセンターに集う女たちが、自立しセンスが良くキラキラしていて、田舎者の私は気おくれがしていた。

 

同じ年、樋口恵子先生のお宅へ行く機会があって、そこで手作りおでんをごちそうになりながら両親のことを聞かれたが、共働きで父親は料理を作ってくれることもあるとしか言えなかった。 

臍を噛む思い。女性問題を扱っている学者に加害者のことを聞かれた良いチャンスだったのに口は嘘をついた。恐怖に負けたのだ。あの名古屋地方裁判所岡崎支部で戦った19歳の少女のように大学の学費を母親に出させていたから、19歳の私もそれがストップされるのが怖かったのだ。たしかに父親は中国戦線に日本兵として出征し中国仕込みの料理を知っていた。でも、その料理の背後に何人の中国女性が泣いているのかと思うと味がしなかったが。

 

そして、同じ年、栃木で父親を殺害した娘がいて、日本から尊属殺人罪は消えた。私は小躍りしたが、意気地なしだから父親を殺すこともできなかった。

 

このころは私の頭と体に病理が顕在化して社会的な発想を生む余裕はなくなった。15歳~25歳は性虐待被害者ならだれでも最も困難な時期を送るだろう。性ホルモンがもっとも増大する年齢にさしかかると、性と結びついた海馬の記憶が誤作動し、暴走を始める。私も例外ではなかった。転げまわる苦しみに自殺未遂を繰り返した。 

 

 

 

次にはっきりとフェミニズムに出会うのは38歳、1990年だった。しかし、同時に悪名高きさ〇〇う医師から暴言を受け闘うことにもなった。一度で懲りた私はさ〇〇う医師に抗議文を出し一切の関りを切ったから、その後の被害は受けなくて済んだ。

 

38歳からフェミニズムの本を集中的に読んだ。私が学生だった時代(1970年代)にはみじんもなかった女性学というものが大学に設置されていた。私は日本女性学学会にも顔を出し、そこでカレッジトゥヒールの翻訳をしてくれることになった二見れい子さんに出会った。彼女は翻訳を引き受け私のいる自助グループにも参加してくれた。

 

既に名が知れ渡っていた上野千鶴子さんにも日本女性学学会で出会った。きさくに話しかける聡明なオープンマインドに憧れた。シスターフッドという言葉を初めて知ったのもこの頃。

 

女が女の敵だった50年前とは違う。女が女をサポートするのがどんなに気持ちいいのかを知ったのだ。もう後戻りはできない。

 

また、「沈黙をやぶって」を出版しようとしていた森田ゆりさんや多くのフェミニズムの女たちと子どもの性虐待に関するシンポジウムを都内のいろいろな場所で企画した。たまたま来ていた田島陽子さんにアドリブで舞台に上がってもらったりと、珍しく楽しい時期だった。

 

その後、年金をもらってから自分の本を出版する計画の下、シェルターの資金を貯めるために活動から一切手をひき、ただひたすら働いた。・・・それは25年間続き、自宅とシェルターを買い、そして今に至る。

 

 

ここで、

私が読んだフェミニズムの本から特に感銘を受けた3冊を紹介します。

 

 

 ※「家父長制と資本制ーマルクス主義フェミニズムの地平」(上野千鶴子

上野千鶴子さんの初期の代表作。家父長制がどのように生まれ、利用されていったのか分かります。 女性蔑視と父親が娘に性虐待を働くことは、根っこに同じ家父長制があると教えてくれた本。 

 

 

※「フェミニストカウンセリング」(河野喜代美)

私が読んだのはこの前の1991年出版の本です。アマゾンにはすでになかったので、パートⅡのこちらを貼りました。 

河野喜代美さんは「フェミニストセラピィの目的は、対人関係を通して、クライエントの自尊感情を高め、社会的存在としての自己実現をめざす」ことにあると明言しています。

フェミニストカウンセリングを名乗る平〇が「カウンセリングの目的は被害者が加害者を許すことにあります」とクライアントに向かって言い放ち、そのためにクライアントの自尊感情が大きく傷ついたことを河野さんに確認したら、平〇が間違っているとおっしゃていました。平〇がなぜ、フェミニストカウンセラーを平気で名乗っているのか知りたいものです。

 

 

※「部長、その恋愛はセクハラです!」(牟田和恵)

この本は男性に読んでもらいたい。この私でも、自分の中の微妙な感性と偏見に気づいたくらいですから、自分の中身を洗い出すつもりで読んでください。今までもやもやしていた部分がくっきりと見えて、目からうろこですよ。アマゾンのセクシャルハラスメント部門で私の「もう、沈黙はしない」より売れ行きがいつも上を行く名著です(比べるのもおこがましい、すみません)。父の日のプレゼントにいかがでしょう。

 

 

 

 

 

以上、今回は私とフェミニズムがどう出会ってきたのかを述懐しました。「被害者が加害者を許す」思想がフェミニズムにはないことが分かっていただければ、ありがたいです。

 

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