その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。少子化は家父長制が原因。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に戸籍名変更。自立したい女性のための無料空き家あり。どけち節約と終活と防災サバイバルが趣味。

ドキュメント番組「魂の殺人~家庭内・父からの性虐待」を観た。実名・顔出しで告発し加害者の父親をカメラの前に引っ張り出し証言させている。

TBS-ドキュメント制作の「魂の殺人~家庭内・父からの性虐待」がアマゾンプライムで提供された

 

 

 

いつまで公開されるか分からないので、関心があるプライム会員の方は早めに観てくださいね。

 

性被害の後遺症はとても似ている

私が表現できなかったことも多く語られていて、私にも新しい発見がありました。

観ていて驚くのは、後遺症の形がほぼ同じということや人間関係性を保つのに苦労することが、そっくりということ。

 

渡辺多佳子さんは、「宇宙に私一人かと思った」と述べていましたが、私も当時「自分が宇宙にぽっかりと浮いているような」感覚に始終陥っていました。そんなことまで一緒とはどういうことか、性被害の構造的理解につながりますね。

yagawafuyu.hatenablog.com

 

いつ襲ってくるかわからないフラッシュバックは仕事をする上でかなりのハンデだった

いつ襲ってくるか分からないフラッシュバックで突然目がうつろになること。それは数分のことなのだが、仕事人としてはかなりのハンデとなる。

私も仕事を全うすることに被害のない人の何倍もエネルギーを使った。本来は使わなくてよいエネルギー、もっと建設的なことに使えたエネルギーが記憶と闘うことに消耗された人生だった。

そしてフラッシュバックで解離することや、小さな物音に驚愕反応を起こすことや、私の場合は特に怒りの衝動を抑えるのに苦労した。

そんなこんなで変わった人というレッテルを貼られたことが本当に悔しい。まあ、自分でもおかしいのは気づいていたからなおさら他人は思うよね、仕方がないけど。

 

それでも頑張った。悔しさが原動力だった。

 

 

出演者は実名で実父からの性虐待を公表している3人

渡辺多佳子さん、

宮本ゆかりさん、

山本潤さん

 

性虐待の当事者で実名・顔出ししている人は十数名しかいないそうです。かくいう私も実名も顔も隠しています。戸籍名変更前の実名と変更後の実名と両方とも晒すことはしていない。

 

それにも関わらず、

戸籍名変更に使いたいから教えて欲しいという被害者2名に、私の裁判の事件番号を教えてしまった

今は後悔している。

事件番号は実名も住所も裁判内容もすべて載っている。

弁護士や裁判官しか閲覧できないが、写しを取得できる。コピーを見せないまでも、口頭で私の実名などを当事者に教えることはできる。

 

「もう、沈黙はしない」を書いたときは、私も事件番号を教えようという気持ちがあった

穂積純さんはアメリカ出発の前の夜だったので、よく考えずにかもしれないが弁護士経由で審判書などの写しを私に渡してくれた。運よく、私は戸籍名を変えられて穂積さんに報告して喜んでもらうことができた。

 

 

しかし、

せっかく渡した私の裁判の事件番号は活用してもらえなかった。しばらく立ち直れなかった。

しかし、今回、私の血と涙の結晶である事件番号がうまく使われなかった。

ひとりの方は裁判所に提出したが、戸籍名変更は簡単に却下された。裁判官は申し立て人を愚弄するような態度に終始したという。私の事件を知った上での愚弄だから私までばかにされた気がした。私が一番嫌うのはバカにされること。多分HSPゆえかもしれないが、深く傷ついた。

私の事件番号は役に立たなかったが、こちらの方は裁判所に提出してくれたから、私はまだ納得がいく。

 

もう一人の方は、弁護士までついていたのに、紆余曲折の末、結局裁判所に提出すらしなかった。本当にがっかりした。せめて提出はしてほしかった。準備が整った段階を確認してから教えてもよかったのに、私が事件番号を教えるのを早まったと後悔している。

どちらにしても、一度教えてしまった事件番号はもう取り戻せない。実名と住所が知られたことが本当に怖い(幸い、事件番号の住所からは引っ越しているのが救い)。これからはまだ、よく交流ができていない相手に自分を晒すことは止めなければいけない。

 

そういうことを考えるにつけ、実名・顔出しをして告発している人たちには、素直に敬意を捧げたい。

 

後遺症は似ているのに、犯罪に向き合う姿勢はそれぞれ

加害者に向き合う方向が人それぞれ様々に変わる。同じような被害を受けたとしても、人間はみなそれぞれの性格、環境の中で生きている。その環境の中でできるだけのことをしながら、自分らしく生きていくしかないのだ。

 

後遺症だけは共感できるので、それを語るだけでも何らかの回復は得られる。

 

 

虐待とは関係を切断する行為だと渡辺多佳子さんは語る

渡辺多佳子さんは、自分に孫ができた時点で家族で集まろうと考えたという。

虐待は関係性を分断する行為だったとのこと。

分断された家族のつながりを取り戻すために、加害者である父親もその場に呼ぶのだそうだ。その論理は私にはしっくりしない。

そこで、推論してみた。

恐らく、後遺症が影響し離婚もしたから息子たちとの関係性が難しいものになったのかもしれない。

多佳子さんがそこまで関係性を取り戻したいと思うのは、父親とではなく自分の子どもと孫なのではないだろうか。

父親なんかはどうでもよい、だけど自分の子どもと孫とよりよい関係を再構築するためには、父親の告白と謝罪が必要なのかもしれない。

 

ただ、気をつけなければならないことは、今後父親を含めて家族で集まると、いくら被害者本人が父親を心の中で家族と認めていなくても、集まったという事実を役所が父親との融和と受け止め、多佳子さんに加害者の介護を要求してくることだ。役所は金と人のかかる介護は家族に丸投げしたいと何時も考えている。

お気をつけて。

 

あえて家族を作らなかった私は、そんな面倒な手続きを必要としない。

私には結婚や子育てのイメージが浮かばなかったから、決して適切な子育てはできないだろうと思っていた。

私にとって子育ては、虐待体験を上回るほどの苦痛を伴うことになっただろう。この年になって、子どもがいなくて本当に良かったと胸をなでおろしている。

 

直接別れを告げた唯一の親戚

叔母の連れ子で血が繋がっていない若い親戚がいて、私はその江戸っ子堅気のさっぱりした妻が大好きだったから頻繁に遊びにいってはおいしい手料理をごちそうになり、当時小学生の姪にはピアノを弾いてあげたりしていた。

けれど、父親に一筆書かせた直後に告発を考えていた私は、その事実をその親戚家族に話し、姪の将来に暗い影を落とすかもしれないことを自分が計画しているので縁を切ったほうが姪のためだと、泣く泣く別れを告げた。

血はつながっていないが、親類は親類なのだ。私はまさしく分断を選んだ。

 

 

加害親の介護をしてはいけない

これが、今私が主張する論点だ。

介護をすると親は、「やっぱり、なんだかんだ言っても親の自分が大事なのだ」と、すぐに勘違いしてしまう。

なぜなら、加害したほうは自分のしたことを忘れ、犯した罪を過小評価しているからだ。

かたや、被虐待児は何度も加害者を包丁で刺そうとしている。そんな子どもが加害親を敬愛している訳がない。

 

性虐待からくる憎しみはとても複雑で「愛のむち」などという詭弁は通用しない。

顔をなぐられる身体的虐待とは位相の違う「恥」の感覚を植え付けられる。「お前は恥ずべき存在だ」と行動で親にいわれることがどれだけの苦悩をもたらすか分かりますか?

 

墓守もしてはいけない

墓守を引き受けることは、血縁一族との関係が続き、性虐待の事実をその都度開示するのは大変な重荷になる。いちいち説明しいちいち驚かれるを繰り返すのは、精神的にダメージが大きい。

では、開示しないで沈黙したまま墓を継承するのだろうか。それは、いままで沈黙を強いられてきた被害者の生き方になんの進歩も変化ももたらさない。昔のように忍従しろというのだろうか。

 

私にはできない。これ以上虐げられるのは、ごめんだ。

 

墓は要らない

だから、墓は捨てた。

私は自分の墓も作らない。遺体の発見から、焼き場で焼き骨を粉にしてもらい樹木の下にでも撒いてもらうまで、つつがなく執り行ってもらうのが私の人生最後の望み。その希望が完遂される為にいろいろの方法を模索している。死亡届を出してから粉骨を撒くまでの費用は準備している。

最近の樹木葬は壺に入れて合祀するところが多くなったが、すこし金を積めば一人で粉になって散らばれるだろう。私は最後まで一人でいたい。

 

 

「歩こうよ~むらさきロード2024パレード」のお知らせ

日時:11月3日 10:00~16:00

場所:東京ウイメンズプラザ、表参道の路上

内容:午前中はシンポジウム、午後はパレード

   途中参加・退出OK

※日曜日に表参道を散歩したい人、会社でジジイの感性に苦しめられている人、ぜひどうぞ。私は今は電車にも乗れないし歩けないから参加できませんが、楽しかったですよ。

※反性暴力を表現しているむらさき色のなにかを身につけて来て下さいね。

 

 

 

 

 

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