その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

被害者を傷つける専門家

 

効果がないならまだよい、被害に対して無理解のために被害者を傷つける精神科医やカウンセラーや援助者の存在をどうしたらよいのだろう。

 

大学生の時、欝が苦しくて苦しくてつい大学のカウンセリングルームに行ってしまったことがある。行かなければよかった。やせた若い男のカウンセラーに「性格が悪いから直しなさい」と言われてあっけにとられた。どうせあなたじゃだめでしょという思いが顔にでていたのかもしれない。


それでも、いくらあなたがアマチュアのカウンセラーでも、面談に来る人は患者と思って対応しないといけません。性格が悪いと思ったら、その悪さがどこからくるのか患者自身に気づいてもらう技術が必要ですよね。40年前のそのカウンセラーは今もやってるのでしょうか。



私は大学で心理学部に進路を決めていたが、そこの先輩学生たちは、美しい一人の女学生に男子学生が数人群がり常に団体行動をするような方たち。私は心理学部に行くのをやめました。ネズミを機械で回して微分積分するだけな実験心理学と後で聞いてやめてよかったと思った。40年前の心理学はまだまだ未開拓な分野で医療に傾いていました。人の心を扱う心理学が登場するにはもう少し時代が進まなければなりませんでした。

 

40年前、24歳の時初めて精神科医に話したが、完全に否定された。「嘘を言うんじゃない。おとうさん、お母さんを大事にしなさい」と怒気を含んだ診察でした。ふるえながら診療の中で初めて意を決して話したのに。医者なのに。40年前はまだフロイトのエディプスコンプレックス理論が支配していた。今はその理論の誤りが理解されているからそんなことを言う精神科医はいないはずである。

 

私は性虐待を受けた10歳から12歳の間に、身体的にも精神的にも成長できなかった。成長が止まったのです。

 

25年前の38歳の時呼ばれていった集会で話す機会があり会場から質問を受ける段になった時、「立ちましょうか」と言った私に、その時司会をしていた精神科医は100人の聴衆の前で「あんたは立っても座っても同じだからいいんだよ」と言ったのです。性虐待にコミットしている精神科医でした。それがトラウマになり、それ以来私は人前にでて話すことができなくなりました。

 

披虐待児童に発達遅延が起きることは、当時でも自明の理、医者ならだれでも知っていることでした。後々、怒って抗議した私に対して、その医者は、「サバイバーはエキセントリックでだめだ」と言ったそうです。(泣、笑)

 

実は私はこの集会で40年前の精神科医の治療の間違いを指摘したのです。私は、性虐待の当事者がいかに間違った治療をうけてきたのかを医療関係者の人達に分かって欲しかっただけでした。そのために当事者を呼んでの勉強会であったはずです。多分、私が専門家の前でへりくだることをしない患者だったから嫌われたのでしょうか。 出る杭が打たれたという感じでした。

 

ただ一人、国立病院の元院長だけは「30年前は、精神科の教科書に実父からの性的虐待のことは載っていませんでした。お詫びします」と言ってくれました。

 

 

私は専門家とクライアントは心の状態を把握し紐解き、社会のほころびまで追求する同志で対等だと思っていました。協力して作業をするのですから。それができないとクライアントの回復は望めません。専門家の言いなりになるのが良いとは思えません。

 

 

同じ年、受けていたカウンセリングのワークの中で、担当カウンセラーが「カウンセリングの目的は、被害者が加害者を許すことにあります」と堂々と言いました。天地がひっくり返るほど驚いた私は聞き返したのですが、そのとおり言ったとのこと。その場でそのカウンセリングに通うのは辞めました。そのカウンセラーはフェミニストセラピーを標榜していました。

 

 

フェミニストセラピーを日本に紹介した河野貴代美さんに尋ねたところ全く違うと言ってくれました。フェミニストセラピィの名誉のために言いますが、フェミニストセラピー自体は女性の性暴力被害者にとってとても有益だと思います。

 

女性への性暴力は男女の力関係が偏っていることから生まれます。その差別意識を社会からなくす、つまり社会の方をこそ変える必要があるのです。そして許されるべきは被害を受けた被害者です。なぜなら、力の弱い被害者の方に社会は罪をなすりつけるからです。被害者が罪人にされるこの社会をこそ変えていきましょう。

 

 

女性への性暴力を支援している団体の中に、言葉が荒く使い方を間違っている人が含まれていることがあります。恐る恐るコンタクトした被害者の感情を逆なでし勇気を奪うことはしないでほしいものです。

 

 

 

なぜこんなにも専門家に嫌われるのか、恵まれないのかとくじけてしまい、私は専門家に頼ることはやめました。同時に回復することも諦めました。

 

 

前世で専門家を殺したか何かしたのかもしれない、と思うくらいです。

 

 

実は、私の母親は高校の保健体育の教師でした。50年前は体育教師が保健室の教諭も兼任していました。私は母親の勤務している学校とは別の学校に入学したので、母親の保健室に行くことはもちろんありませんでした。保健室って、昔も今も心が苦しくなった生徒が頼っていく場所ですよね。そこにいたのは何を隠そう娘に性暴力を働いていた男の妻だったのです。

 

そして彼女は自分の家庭で夫が娘にしていることを知らないふりをし、さらに娘が訴えたにも関わらず聞かなかったことにしました。それが私が人生で最初に出会った専門家であり、一番身近にいた専門家の人だったのです。

 

その専門家は、高校を定年退職した後短大の講師になり、こともあろうに精神衛生の講義をしたそうです。学生に何を教えていたのやら。私には、「いつまでもそんなこと言ってないで、早く昇華しろ!」と言った人ですから、さぞや害毒を流したのではないでしょうか。 

 

 

精神科医も、カウンセラーも、支援者も、そして当事者も、100パーセントではありません。私たちは情報を交換しながら、被害者を傷つけているような人々に近づかないようにするだけですね。