その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

木崎みつ子著「コンジュジ」を読んで分かったことの考察・・・シリーズ①

 

 

 

木崎みつ子著「コンジュジ」を読んで分かったことについて数回に分けてシリーズにします。

  

 

 

事の発端は、木崎みつ子さんからメールが届いた こと

2020年10月9日に、突然メールが届いた。

 

以下、木崎さんのメールの抜粋を本人から許可を得て転載します。

矢川様
一年ほど前から矢川様が運営されているブログを拝読しております。
「もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて」も読ませていただきました。
 
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実は私今年の3月に木崎みつ子(きざき みつこ)というペンネームで
性虐待を扱った小説を書き、第44回すばる文学賞という賞を受賞いたしました。
 
 
私が性虐待を扱った小説を書いた理由をご説明いたします。
日頃から性暴力の報道を見るたびに、打ちのめされるような気持ちになっておりました。
なかでも性虐待に関する報道は、一日たりとも頭から離れたことがありません。
実娘に性的暴行を加えた父親が名古屋地裁岡崎支部で無罪になった際には、
司法が機能しない絶望感に耐えられなくなりました。
 
「性虐待」という問題は、当事者ではない人間が安易に扱っていいものではないということは承知しているつもりなのですが、
何年もずっと「こんな世の中を変えたい」という願望があり、
小説というフィクションで自分の思いを表現いたしました。
 
小説は可能な限り被害に遭われた方々を傷つけたり、
不快な思いをさせることがないように配慮しながら書いたつもりです。 
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小説を書くにあたって、性虐待当事者の方が書かれたご著書を拝読したり、
実際に起きた性虐待事件を描いた映画などの作品を観たのですが、
最も感銘を受けたのが矢川様のご著書でした。
 
矢川様のご著書とブログに出会わなければ、
きっと小説を完成させられなかったと思います。 
                   (矢川抜粋・編集)
 
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本を読んでいない人にはさっぱりなんのことか分からないでしょうから、
 
「コンジュジ」の内容の要約を載せます。
(要約は矢川、ネタバレ失礼)
 
内容:生活力のない父親を捨て母親が行方をくらます。10歳の一人娘のせれなは父親と残された。せれなはTVで偶然外国のロックグループを観てボーカルとピアノ担当のリアンに恋してしまう。ところがそれはリバイバル放送でありリアンは1983年に32歳で亡くなっていたのだ。生きていれば父親と同じくらいの年齢。
 
やがて父親はブラジル人の女と同居し3人の生活が始まるが、生活費などのことでこの内縁の妻もまた家を出る。やがて父親はせれなに性虐待を加えるようになり、せれなはどうすることもできない状況の中で幻影のリアンと脳内恋人になっていく。少ない生活費を工面して商品として残っているリアンのグッズを買いあさる。
 
ある日せれなは父親から殴られ2階で意識を失う。ちょうどその間に玄関に戻ってきた内縁の妻が口論の末父親を殺してしまう。そのとき父親は全裸だった。せれな17歳の時だった。
 
ひとりになったせれなは、認めたくなかったリアンの死を幻想世界でも認め、幻想の中でリアンの棺に供えようと花をかかえて向かう。ラストシーンはせれながリアンが横たわる棺の中に入り一緒に横たわるところで終わる。明日は5時半起きで仕事に行こうと思いながら。
 
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木崎さんは、コンジュジ(配偶者)というタイトルと、このラストシーンだけ5年前に浮かんでいたがその後4年間書けないでいたとのこと。
  

もし、興味がおありなら「コンジュジ」を読んで下さったら有難いです。そして、感想を寄せてくれたならもっと嬉しいです。

 

 
 

矢川の最初の(独断的)読後感想(今は少し違います)

父親をとし、父親と同年代であるロックミュージシャンのリアンをとして設定し交錯させている。この時点で私は父親=リアンと思った。

筆者の筆は後半96ページあたりから勢いを得てクライマックスへ向かう。このあたりの作者の筆力には驚嘆した。思わず引き込まれ、筆者が一番書きたかったという一番大事な最後のシーンへなだれ込んだ。 

暗い棺に横たわるリアン。棺の中でリアンに寄り添うせれな。この光景が私には加害者である父親と和解した娘の姿に見えてしまった。その光景に吐きそうになり怒りがわき絶望し、この本は捨て置くことにした。10月のことです。木崎さん、ごめんなさい。

 

 

なぜ、今になってブログで取り上げたかというと、

①作者の木崎さんが上記の丁寧な挨拶のメールをくれていたこと。
私の本に感銘を受けたことで「コンジュジ」を書くことができたと言ってくれたこと。しかし、私は全く逆の思想を読んでしまったこと。
③10月にメールをもらって読んだ時、内容が加害者との和解と許しを書いているのではないかと矢川が読みとってしまい悩み苦しんでいたこと。
④「コンジュジ」が12月に芥川賞にノミネートされ知名度が上がったことを、私は2月に入って知った。被害者が加害者を受け入れる思想が蔓延するのではないかとにわかに不安になったこと。
⑤被害者が加害者を許すべきというキャンペーンを展開している専門家とサバイバーグループが実際に存在していて、矢川は30年前にその専門家から侵害を受けたこと。今回の私の読み方はこのトラウマが呼び覚まされたことが原因だということ。
 
 
 
 

 木崎みつ子さん、他の人たちとの意見交換 

私は「コンジュジ」のラストシーンに性虐待被害者が加害者と和解し受け入れてしまったと読み取り憤慨してこの本を捨て置きました。

私の「もう、沈黙はしない」に感銘を受けたと言ってくれている意味が分からなかった。

しかし本当に最後のシーンが和解を表現しているのか不安になり、当事者2名、非当事者2名に「コンジュジ」を読んで感想をくださいとお願いしました。

 

4名は、最後のシーンに和解を読み取らなかった。

 

ほかの人と交流するうちに、この読み方は私だけの独自な読みだと理解してびっくりしてます。

 

感想をお願いした4名の中のひとり、echo168さんに背中を押され私は木崎さんに単刀直入に問うことにした。

 

木崎さんの返事は、

「作品の読まれ方は制限できませんが、
矢川さんを悩ませてしまったのなら、
和解を考えて書いた物語ではないということを、納得がいくまでご説明したい」

という真摯なものでした。文面も親愛に満ちていて、私は木崎さんの人柄を信頼しました。

 

 

私が作者の意図とはかけ離れた読み方をした原点は、やはり30年前の専門家たちから受けた「許しなさい」という圧力にあると思う。一次被害と同じくらいにその2次被害は心をえぐった。普段忘れていたその時のトラウマが、「コンジュジ」を読んで吹き上がってしまったということだと思う。

人の情動を喚起ししてしまう木崎みつ子という作家は、それだけ秀逸な才能を秘めているのではないか。

 だから、良いきっかけなので、今回自分の考えを整理する意味も含めて公開することにした。今後、さらなる2次被害を受ける被害者が出ない為にも公にする必要があった。

 

 

被害者が加害者を許すというキャンペーンを貼る専門家とサバイバー 

私は「もう、沈黙はしない」の中で、「セラピィの目的は被害者が加害者を許すことにあります」フェミニストセラピィを標榜する女性セラピストHに高らかに宣言されて、ひっくり返るほど驚いたと書いた。もう一人私を冒涜した男性精神科医Sに洗脳されているサバイバーグループシアブの当事者たちも「加害者を許しましょう」とマスコミを呼んではワークショップを行っていた(今も行っているそう)。

 

#同意なき性交は犯罪だと刑法に「同意」と言う文言を入れてほしいという運動が盛り上がっているこのタイミングで、被害者の主体性と人権を尊重しない側の勢力がもう一つ生まれてしまったと思って震えた。

 

 

 

 

 ほかの人たちに参加してもらったのは、もしかしたらあの侵襲的な専門家たちから被害を受けていない人は違う読み方をするのではないかと思ったから。

案の上、お願いした4名は私と違う読み方をした。従って、順を追って考えてもらう為にシリーズ化するのが良いと思った。

 

 

シリーズ①は木崎さんの最初のメール、私の誤解にまみれた読後感想。

シリーズは、当事者で友人のDさん、戸籍名を日本で3番目に変えたAさん、ジョヴァンナさん(id:giovannna )、echo168(id:eco168)さんに書いてもらう予定です。 

シリーズ③では、コンジュジを離れて、「和解と許しは必要なのか」について、その思想を被害者に吹き込んでいる専門家たちについて書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

私と木崎さんはともにこの社会を憂えている。

 

性虐待の起きない社会、起きても加害者の教育が進む社会、被害者の治癒と回復が正しく提供される社会のイメージを持てたら良いと思う。

 

 

 

 ※私の方向性が定まっていないうちに見切り発車をして3月7日にこのブログを挙げてしまったのですが、考え考え見直しているうちに自分が何をしたいのかが徐々に分かり、その間何度もこの記事を更新してしまいました。3月7日に読んで下さった方には、3月10日に更新したこの記事が3月7日の記事と相当違っていることをお詫びします。矢川
 
 

 

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