木崎みつ子著「コンジュジ」を読んで分かったことについて数回に分けてシリーズにします。
事の発端は、木崎みつ子さんからメールが届いた こと
2020年10月9日に、突然メールが届いた。
以下、木崎さんのメールの抜粋を本人から許可を得て転載します。
もし、興味がおありなら「コンジュジ」を読んで下さったら有難いです。そして、感想を寄せてくれたならもっと嬉しいです。
矢川の最初の(独断的)読後感想(今は少し違います)
父親を実とし、父親と同年代であるロックミュージシャンのリアンを虚として設定し交錯させている。この時点で私は父親=リアンと思った。
筆者の筆は後半96ページあたりから勢いを得てクライマックスへ向かう。このあたりの作者の筆力には驚嘆した。思わず引き込まれ、筆者が一番書きたかったという一番大事な最後のシーンへなだれ込んだ。
暗い棺に横たわるリアン。棺の中でリアンに寄り添うせれな。この光景が私には加害者である父親と和解した娘の姿に見えてしまった。その光景に吐きそうになり怒りがわき絶望し、この本は捨て置くことにした。10月のことです。木崎さん、ごめんなさい。
なぜ、今になってブログで取り上げたかというと、
木崎みつ子さん、他の人たちとの意見交換
私は「コンジュジ」のラストシーンに性虐待被害者が加害者と和解し受け入れてしまったと読み取り憤慨してこの本を捨て置きました。
私の「もう、沈黙はしない」に感銘を受けたと言ってくれている意味が分からなかった。
しかし本当に最後のシーンが和解を表現しているのか不安になり、当事者2名、非当事者2名に「コンジュジ」を読んで感想をくださいとお願いしました。
4名は、最後のシーンに和解を読み取らなかった。
ほかの人と交流するうちに、この読み方は私だけの独自な読みだと理解してびっくりしてます。
感想をお願いした4名の中のひとり、echo168さんに背中を押され私は木崎さんに単刀直入に問うことにした。
木崎さんの返事は、
という真摯なものでした。文面も親愛に満ちていて、私は木崎さんの人柄を信頼しました。
私が作者の意図とはかけ離れた読み方をした原点は、やはり30年前の専門家たちから受けた「許しなさい」という圧力にあると思う。一次被害と同じくらいにその2次被害は心をえぐった。普段忘れていたその時のトラウマが、「コンジュジ」を読んで吹き上がってしまったということだと思う。
人の情動を喚起ししてしまう木崎みつ子という作家は、それだけ秀逸な才能を秘めているのではないか。
だから、良いきっかけなので、今回自分の考えを整理する意味も含めて公開することにした。今後、さらなる2次被害を受ける被害者が出ない為にも公にする必要があった。
被害者が加害者を許すというキャンペーンを貼る専門家とサバイバー
私は「もう、沈黙はしない」の中で、「セラピィの目的は被害者が加害者を許すことにあります」とフェミニストセラピィを標榜する女性セラピストHに高らかに宣言されて、ひっくり返るほど驚いたと書いた。もう一人私を冒涜した男性精神科医Sに洗脳されているサバイバーグループシアブの当事者たちも「加害者を許しましょう」とマスコミを呼んではワークショップを行っていた(今も行っているそう)。
#同意なき性交は犯罪だと刑法に「同意」と言う文言を入れてほしいという運動が盛り上がっているこのタイミングで、被害者の主体性と人権を尊重しない側の勢力がもう一つ生まれてしまったと思って震えた。
ほかの人たちに参加してもらったのは、もしかしたらあの侵襲的な専門家たちから被害を受けていない人は違う読み方をするのではないかと思ったから。
案の上、お願いした4名は私と違う読み方をした。従って、順を追って考えてもらう為にシリーズ化するのが良いと思った。
シリーズ①は木崎さんの最初のメール、私の誤解にまみれた読後感想。
シリーズ②は、当事者で友人のDさん、戸籍名を日本で3番目に変えたAさん、ジョヴァンナさん(id:giovannna )、echo168(id:eco168)さんに書いてもらう予定です。
シリーズ③では、コンジュジを離れて、「和解と許しは必要なのか」について、その思想を被害者に吹き込んでいる専門家たちについて書きたいと思います。
私と木崎さんはともにこの社会を憂えている。
性虐待の起きない社会、起きても加害者の教育が進む社会、被害者の治癒と回復が正しく提供される社会のイメージを持てたら良いと思う。