その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

回復する権利、回復しない自由

適切な支援や治療を受けられなかったり、人生に深く寄り添ってくれる人を見つけられなかったりする性暴力被害者も世の中にはいる。私がその一人です。慢性的PTSD,あるいは複雑性PTSDの症状が長く続いてしまっている人です。

30年前、私が自助グループを作った時は、苦しさのあまり集まってくれた女性たちでしたが、ほぼみな結婚し子どもがいました。そしてその人たちが願うのは、会合で心の苦しみを吐き出した後家庭に戻り、つつがなく普通に生活が営めれば良いということでした。それがその人たちの回復の形なのだからそれはそれでいいのでしょう。よく言われるのは、良い伴侶に理解をしてもらうことで癒えていけるというものです。男性の精神科医などはよくそう言います。回復する権利は誰にもあります、形もそれぞれです。

 

けれど、私はそれでは納得できないのです。それも結局は強いほうに頼っていることになりませんか?家庭に潜む性差別意識は時には甘い罠になって女性を縛ります。自分自身で物事を考え、開発し、行動していくのは結構大変ですから、誰かに頼ってしまう他力本願が安心で楽ちんなのです。宗教などもよく他力本願というその手を使いますよね。

 

私のように一生性暴力を憎む証に結婚せず子どもも作らず天涯孤独の人生を選択した人にはなかなか出会えません。私は自分の自尊心を守りたかっただけ。粉々に砕け散った自分の自尊心を自分で拾い集めて、自分自身として自立することが私の回復のあり方でした。

 

一度30年前のメンバーに聞いたことがあります。その人の答えは「みんなあなたのようになりたくないの」ということでした。うそー!とびっくりしました。どうも私はサバイバー業界でも例外的な存在なのかもしれません。でも私はこうしか生きられないし、自立した天涯孤独の独りの生活がけっこう気に入っているのです。

 

それでも、こんな私を批判しないでそうだそうだと共感してくれる人がどこかにいるはず。そういう人に出会いたいためにIT知識のない高齢者サバイバー(精神年齢は12歳)は、ブログを始めました。だって、その昔全然理解してもらえなかったから。

 

若い人は回復というキーワードの周りをぐるぐる回るしかない時があります。でも、大丈夫。年を取ってくるとPTSDの症状の身体的な部分は薄れてきます(心の部分は違いますが)。若いころは耐えがたい苦しみだった怒り、憎しみの暴風雨は小雨程度になります。専門家に頼ろうが頼るまいが、あまり違いはありません。効果があるのは、心から共感してくれる普通の友人です。なかなか社会のなかでそういった友人を見つけるのは難しいですが、私は専門家による治療を断念した代わり、アンテナをはってそういう友人を見つける努力をしました。

 

さらにですが、家族がいようがいまいが同じになってくる。なぜって、最後は女性が一人残るのだから。なまじずっといた家族に死なれた喪失感があると、残された人生はつらいものです。そこへ行くと血縁と縁を切った私などは、なんのあとくされもない。私は墓も作らず無縁仏でいるつもりです。何しろ無宗教実存主義者ですから。

 

夫や子どもがいると、エネルギーをそちらにとられます。私は自分の分身である虐待された子どもたちのために何かをしたいと思っていた。自分は回復を望まない。それより、親から性虐待を受けたという、その意味を考えていきたい。虐げられた自分は本当に価値がなかったのかを、死ぬまでに世に問いたい。私は夫やこどもがいて回復するような回復からは自由でいたいと思ったのです。