最近悲しい事件がたくさんあったの
で、これは嬉しい知らせです。人間界の汚さを花たちは知ってか知らずか、きれいに咲いてくれました。これは2月5日の撮影で五分咲き、今は満開でもっときれいですが写真撮るのを忘れました(;_;。 来年は満開を披露したいと思います。
普通に撮ると四方を取り囲む家たちが写ってしまうので、思いっきり空に向かってパチリ。青い空と白い梅のコントラストが心を癒してくれます。スマホから直接はてなブログに写真を載せることも今初めてできましたよ!
おお~、感動!(*^^)v
いろいろやってたら、できました~。(⋈◍>◡<◍)。✧♡
進歩するって楽しいものですね。できなかったことができるようになる喜びは、なにものにも代えがたいものです。子どもたちにもその感動を味わってもらいたい。
20年間塾を経営していた時、10分に1回は生徒たちを絶対笑わせると決心し実行していました。60分授業だったら、6回笑わせる。達成できなかった日は落ち込んだりしてね。生徒をわらかす勉強のためにお笑いを見たり、若い子が読む雑誌をみたり努力は惜しみませんでしたよ。
子どもたちの笑顔ってホント素敵!私の方が何倍も笑います、楽しくって嬉しくって。。。(^^♪
先生が楽しくなければ、生徒は楽しくないと思ってましたね。それと、私は自分が教えてもらいたいような先生になろうと思っていました。だから、自分が通いたくなるような学習塾(補習塾です、念のため)を常にめざしていました。だから、弱小補習塾が20年も潰れなかったのだと思います。辞めるときも潰れたのではなく、私自ら5年計画で塾を閉鎖にしたのです。下の学年の募集を中止していきました。受験を控えた中学3年生たちの心を乱さないように気をつけながら。
塾をやっていた20年間、卒業パーティーは私持ちで毎年ささやかにお祝いしていました。簡単な飲み物とお菓子で、一人一人にパンジーを1本用意するのが習わしでした。塾閉鎖の年、全員の受験が終わってから今年の卒業パーティーは塾の閉鎖のパーティーでもあると数日前に生徒たちに告げました。
私が50歳のとき、最後の中学3年生を送り出す卒業パーティーに、保護者のお母さんたちがサプライズで大きな花束と寄せ書きを持って塾の前の暗がりに6~8人集まってくれていたので私は大泣きしました。思いもかけないことでした。
有難う、みなさん。(:_;)
その時、膠原病で指が曲がって苦しんでいる若いお母さんに「先生、次は何をやるのですか?」と聞かれ、私は「福祉ですよ」と答えたのですが、その方は本当にうれしそうに「頑張って」と応援してくれました。
一番嬉しいのはなんともおいしいお母さんたち手作りのチーズのフライや空揚げ。最後のパーティー大成功でした!食い意地だけは治らない!
🌸🌸
シェルターには千両、梅、山茶花、モミジ、柿が植わっていて、1年中何かを楽しめます。前の持ち主の方に感謝です。これからは、それらの樹々が一番良いところを写真でお見せしたいと思います。(撮るのを忘れないようにしろって、はい。)
それと、これから本格的に作る菜園の野菜やハーブたちの姿もお見せしたいと思います。
🐶🐶🐶🐶
けれど、もう何年かしたらできていたことができなくなる時期が来るかもしれません。人は生まれて、生きて、老いる。生まれることはできても老いることができなかった人たちの分まで、しっかり老いを経験したいと思います。
老いるところまで生きられたことに感謝します。老いを経験できるって、わくわくします。つい一昨日は昔の虐待関係の資料を断捨離していて、見てしまい読んでしまい、深いうつ状態に陥りました。長年うつと付き合っていると自分にあった一番良い抜け出し方がわかるものです。私の場合はひたすら眠ります。
若い頃「森田療法」という本を読み実践していました。森田医師のところに入院すると、1週間の間布団から出ることを禁じられます。患者はうつとはいえ苦痛を感じ、苦痛が頂点になると自発的に動けるようになるそうです。
だから、私はウツに入った時は、ひたすらウツに浸り底を尽くまで待ちます。ある瞬間、足先が川底に触れた気がしてツンとつつきます。すると、ふわ~と水面に浮かぶのです。
今日はすっかり復活して、掃除、洗濯、布団干し、料理ぜんぶできました。皆さんのブログを読みに行き、おまけに自分のブログまで書いています。清潔な部屋で暖色系のLED灯りの元まったりしています。
そして、歳をとって良かったことは、うつが若い頃ほどひどくないこと。もともと私は若い頃薬を飲まないで過ごしたので、今は睡眠誘導剤マイスリーを飲むだけですんでいるのです。
ただし、シェルターに宿泊するときはケアできなくなるのでしばらく飲まないほうがいいでしょうね。児童養護施設で宿泊勤務した時も、夜中に子どもが施設から抜け出すのやら、熱出すのやらが分からないと困るので、眠剤は飲まないで頑張れましたから。
高齢者介護施設で勤務していた時は、夜勤とはそもそも眠るものではないので一晩中(16時間)コール対応とおむつ交換に駆けずり回っておりました(59歳までやりましたよ)。眠剤の入る余地ありません。
きっと大丈夫。私はやるときには、やるのです。虐待を受けていても、私はそういう人間になりました。
だから、皆さん安心してシェルターを応援してください。
ただ一つ、困ったことが。
3月で退職予定だった児童養護施設職員の持ち主Jが、国の定年延長政策のため退職できなくなったのです。4月からあてにしていたので困ったことですが、それでも私は大丈夫な気がしています。リタイアして1年、本を書いて半年過ぎて、その間に十分休養を頂きました。気力と体力が戻ってきています。なにより、はてなブログと他ブログの読者の方からの応援がすさまじい。これには応えるしかないでしょ、と言うわけで元気が出てきました。
皆さん本当に、本当に有難うございます。
してもらうだけではなく、皆さんのお役に立てるような人間になりたいものです。
私は大丈夫‼ (*^^)v