「子ども時代の性虐待被害者は、世界で独りぼっちと感じる」というような記事を読みました。そんな記事があるということは、私が子供時代~30代までときどき浸っていたイメージのことをカムアウトしてもいいのかもしれないと思いました。おかしな人だとこれ以上思われないために封印していたことです。
子どもの頃の話である。実父からの性虐待を10歳から12歳まで受けた。その後の話である。10代...20代...30代...の私の心象風景によく出てくるイメージがいくつかあった。その中の二つを書こうと思います。
こんなイメージを持った人が他にもいたら嬉しいのだけど、このことを誰とも語り合ったことがないから出会ってみたい。
そのイメージは40代にはほぼ見なくなった。多分40歳で家を買ったことが影響しているかもしれない。自分一人でお金を貯めて、自分一人で選んで買った家だったから、夜自分のふとんに寝ていても襲われないという完ぺきな確信が持てた。全き安心感。自分の家、自分の屋根が自分を守っている。性虐待を受けてから初めて感じた安全だった。しかもその安全は、誰からももらっていない、自分で作り上げた安全なのだ。
さて、話を戻してイメージについて書こう。
私は子どもの頃、濃紺の宇宙空間にひとりポツンと浮いていたことがある。
遠くの方に青い地球が小さく見えた。そこまではたどり着けそうもないと諦めながら、青く光輝く丸い地球を見ていた。熱くも寒くもなく、自分の体温すら感じない。悲しみも喜びも苦しみもない。少しの名残惜しさと淋しさがかすかに残っていた。
私は死んでいるのかと思ったが、思考を巡らせられるところを見ると生きているのかもしれないなどとぼんやり考えていた。
白昼夢のようだったり、寝ているときの夢だったりという形で、私はよく宇宙空間に出た。幽体離脱なのか、本当は一瞬死んだのか?
とにかく、宇宙空間にぽつんといるイメージに繰り返し襲われていた。
また、別の日は、
連綿と連なる赤茶けた山脈を空のはるか上から見下ろしながら、自分の意志でものすごい速さで飛んでいることもあった。空は灰色に濁り、空気までも重かった。その時の私は怒りに満ちていた。殺意があった。私を辱めた人間を皆殺しにしてやるといきまき、下界にいるそれら悪人どもを真っ赤な目で探しまわった。
宇宙から見る地球は美しく青くきらめいたのに、いったんその地上に降りると卑しい人間という名の生物にあふれかえっていた。人類が全滅すればいいと子どもの私は本気で願ったものだ。
子どもの頃、地震や噴火や大津波が人類を滅ぼすイメージが強烈に浮かんだ。今そのイメージ通りの世界が始まろうとしているのは偶然ではないかもしれない。私はときどき地球の苦しげなもだえや痛みまでをも感じる。私たちの地球はもうこれ以上は耐えられないかもしれない。
それなのに人間は相変わらず愚かで、力を持ったとたん弱いものをいたぶって汚してはばからない。地球が引き起こす天災のさなかでも、同胞に加害行為をする人間は後をたたないという。人類は救われない生き物なのだろうか。まるで、みずから滅びの道を望んでいるかのようだ。人類は絶滅したいという集合無意識により、突き動かされているのかもしれない。
このようなことを言うと、おかしな人間として遠ざけられるかもしれないから、今まで語ったことはなかった。でも、もう語ってもいいと思う。私はもうそんなに長く地上にいないし、遠ざけられたとしてもたかが知れてる。
いずれにせよ、私は人類のどこの範疇からも外れてしまう種類です。
人類の連鎖から切り離され天涯孤独を生きると決意した人にはこういうイメージが浮かんでいるのではないかと思うのだが、少数派の中の少数派の皆さん、いかがでしょうか?