こんにちは。
「もう、沈黙はしない...性虐待トラウマを超えて」をPOD出版した矢川冬です。
10日ぶりのブログ更新になってしまいました。
この間に天井のリフォームのことで何度もシェルター持ち主Jや大工Sと打ち合わせしたり、手伝ったりと忙しくしていました。今日は、Jが軽トラックで備品をもって来てくれるので、ついでにホームセンターでラティスを買い設置までする予定です。やっと動き出しました。
去年の11月にアライグマ🐻が天井に住み着いてから、ネコの🐈えさ撒きおやじとの抗争、アライグマ親子追い出し、市役所、業者、警察との交渉と相次ぎ、しなくてもよい苦労をいっぱいしました。シェルター運営とはなんの関係もないできごとでしたが、降ってわいた試練には立ち向かうしかありません。
10歳で泣き寝入りして以来、私は「降りかかった火の粉は払う」を座右の銘にして生きてきました。
しかし、そういう戦闘モードとは裏腹な面も私は持っています。10歳で乖離して以来、5人くらいのモードをとっかえひっかえやりくりしてきました。戦闘モードでエネルギーを使いすぎると待っているのは鬱です。
今年に入って鬱っぽい日が続くようになり、いろいろ滞っていました。。ブルーシートのまま半年が過ぎ、作業ができない日々でした。。アマゾンの年間アワードにも入賞及ばず。。シェルターの要項の件で話そうにも忙しくいJとはろくに相談できず進展なく。。
その間に虐待の事件が起きて、性暴力を犯した父親が無罪になったり、神経がおかしくならないほうがおかしい日々。。。
でも、4月末にやっと天井のリフォームも終わり、これから家具の配置などを設定し直して入居者を募集する用意が本格化します。要項発表は5月末で即募集開始、入居は6月からとしたいものですが。。要項が定まらずどうなるか未定に逆戻りしています。。
でも、今日はやっとJと詰めた話ができそうなので、要項もよい形に決まるといいな。
気持ちを立て直して、新しい旅立ちにそなえようと思います。
ブルーシートがとれて、木の香りも新しくうれしくなりました!
ここで、リフォームをしてくれた大工Sについて少し。Sは持ち主Jが勤めていた児童養護施設に5歳から18歳までいました。中学くらいがいちばん手を焼かせたそうです。夜中に施設を抜け出すのは日常、そのたびにJは一晩中捜し歩いたそう。ある夜塀を乗り越えて戻ってきたところをカメラに写そうとJは待ち構えていたがフィルムが入っていなかったりと今では笑い話です。どこにいってたの?と聞くと学校のプールで泳いでいたと童顔が笑顔で答える。Sは憎めない人柄です。
40代になった今は子どももできて、Jの実家の近所に住み、J家の広い敷地内に大工道具を置かせてもらって家族ぐるみの付き合いをしているが、いつまでもJには頭があがらないそう。いい関係です。
シェルターの営繕は大工Sがほぼ請け負ってくれることになったので、とてもとても助かります。次は大物、ぶよぶよしている外壁塗装だよ!
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児童養護施設で職員をしていると、朝起きてから寝るまで(宿直だと寝てからも、Sのように抜け出す子どもがいるから)気が抜けない仕事環境です。食事、入浴、掃除、洗濯、勉強教える合間に、研修会出席。
私は当事者だということをJだけに知らせて入職し、児童養護施設と自立援助ホームの非常勤で宿泊までこなしましたが、こまごまとした目配り、気配りをしているうちに自分が近視眼的になっていくのも分かりました。
パートの私に課せられた変則勤務は次のようでした。
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その1日の例。
ホームの買い物をしながら夕方入る。自立支援ホームの夕飯作りと18歳の子の話相手、宿泊、翌朝6時に出勤してきたホーム長と交代で、そのまま車で3分離れた児童養護施設へ直行。宿泊していた職員と申し送りして交代。朝食を作り、小学生の子どもたちを学校へ送り出す。集団登校は施設の子どもたちだけで人数いっぱいで何班にもなる。掃除、洗濯を10時までに済ませ終了。同じ日の14時に幼稚園のお迎えから仕事が始まり、夕食、入浴、宿題、就寝の世話をしその夜宿泊勤務だったり、ようやく帰ったり。10時から14時までの中途半端な休憩時間に家に戻るのが面倒でカラオケ店で寝てたりしていました。だから数日家に帰らないことも。なので、独身の職員には職員宿舎があてがわれそこから出勤します。病院の看護師と同じですね。
で、私はそれら正職員に休んでもらうためのつなぎで使われていたわけです。その時はまだ無資格だったのでなんでも受け入れましたよ。
私には児童福祉の実態を知る良い機会だったので、大学の通信教育を受けて社会福祉士を取得するまでの2年の間、食べていけないくらいの報酬で仕事に穴は開けないで頑張りましたよ。いずれ自分で作るシェルターの参考になる体験ですから。
けれど、子どもたちとご飯をたべて安心感をもたせるような接し方に気をくばるだけで終わり、他は何もできませんでしたね。でもそれでいいとも思えました。笑顔でご飯を一緒に食べるのが、何よりのケアになると思います。
学習ボランティアをしていた6か月間は子どもたちはいつでも笑顔で礼儀正しく、ここは天国かと思いましたが、いざボランティアおばさんから安いけれどもパート勤務に切り替わった瞬間、ころっと態度が変わる子どももいて驚きました。なぜかなと探っていると、給料をもらって自分たちの世話をしている人間だからということが分かりました。
こどもの論理では、ボランティアはお金でなく自発的に世話してくれている人たち、職員は給料を貰ってお金のせいで自分たちを世話する人間、というくくりなのですね。私も、その感覚分かりますけどね。
でも、病人ではないが人間不信の子どもたちを集団で見ていくのは想像以上にしんどいことなのです。
病院の入院患者だと朝と夕の簡単なカンファレンスですむものが、児童養護施設の正職員たちは一日中会議をしているのではないかと思うくらい会議が多い。その時間もっと子どもに接したら?と私は憤慨していたものです。
けれども、毎日動いて成長している子どもの起こす問題の多種多様な現実に追いついていくためには、未熟な職員が多い中では綿密な申し送りが必要になるということは、今は分かりました。それと、会議のもう一つの効用としては、職員の心理メンテナンスもあったように思います。抱え込んだらおしまいだから。
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ここで、わっとさんのブログを拝借します。無断でごめんなさい。そして、いつもいつも有難うございます。
わっと(id:watto)さんが少し前の記事に、外国(イギリス、ドイツ)の子どもの虐待防止を目的とするかなり過激なCMを載せて下さっていたので言及させていただきました。防止目的というよりは、実態を赤裸々に表現することで観る側の感情に訴える形でしたが、赤裸々を好まない日本では放映できないでしょうね。
被害者に向けてではなく子どもの虐待に関心がない人々に向けあえてショッキングな内容にしたのではないかと思いました。その意味では、被害者はもう十分に知っている体験だから観なくてもいいし、あえてトリガーとなる動画を観る必要もないと思いました。
これが、不用意にテレビで流されたときPTSDからくる発作が起きる被害者もいるのではないか逆に心配です。
外国はテレビで虐待のCMを流すそうだけど日本はまだ少ないねと、Jに話してみましたがほぼ関心を示しませんでした。Jは研修で日本中を飛び回っていますが、一般論は話しません。なんか分かる気がします。
仕事現場で個々の問題に対処し続けているJは近視眼的にもなっているのは確かです。目の前の子ども、担当している子どものことで頭がいっぱいで大所高所の話は後回しでも一向にかまわない。本当はそれではいけなくて、両輪がほしいところですが。
以下、閲覧注意!
このわっとさんのブログの外国CMの2つ目が特に危ないです!ブランコに乗っている少女の動画から始まります。
性虐待トラウマのある方はフラッシュバックする恐れがありますので、2番目の動画だけ省いて観ることをお勧めします。2番目以外は大丈夫かと思われます。
CMの2つ目はヘビのような物体がずーと画面から消えずに動いている作品です。被害者と思われる少女が年老いてもなお、死の瞬間を迎えてもまだいて、息を引き取った後でしかそのヘビは老女の元を去っていかない。
私が感じたのはその老女は性虐待について沈黙を強いられ、沈黙を守っていたから失意のまま苦しみを連れて死んでいかなければならなかったということでした。観ても私にフラッシュバックはおきませんでしたが、ずーっと気持ちの悪さは続いています。思い出して、今でも。
日本の若い被害者は観ないほうがいいかもしれません。西洋人はどう感じるのか知りたいものです。
多分製作者の意図としては性虐待からのPTSDの心象風景を表現したかったのだろうと思いますが、性虐待直後から20年くらいは全くその通りなのですが、私の感覚とは少し違いました。
私の場合は、中年になるとその画像はときどき薄れときどき途切れるようになりました。語り始めたからだと思います。聞いてくれる人が出てきたからです。
私はPTSDの医療的ケアを受けなかったし(まあ受けてもトラウマは残ると思いますが)、今でもうっすらとだがトラウマはずっと存在しています。けれど死ぬ前にはきれいさっぱり縁を切って死ぬつもり。そうしないと私の魂は浮かばれない気がするのです。だから話すのです。
いつか、晴れやかな青空の下すがすがしい空気を深呼吸して笑い、それから死にたいのです。CMに描かれた老女のような、あんな死に方を誰にもさせてはいけない。
そのためにも、私は死ぬまで語り続け、体が動くうちは活動をし続けようと思うのです。