その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

専門家の内実が知りたくて、社会福祉士を取得してみた!

度重なる専門家の不埒な行為に嫌気がさして、医療や福祉の現場サイドで何が起きているのか知りたいと思いました。自営で20年続けた学習塾も区切りが良いし、ちょうど50歳ということもありタイミングが合ったし、25年続けた教育分野から年金をもらうまでの15年間は福祉へ仕事をシフトしようと思い立ちました。一石二鳥とはこのこと。

 

50歳で戸籍名も変え、名前を呼ばれても苦痛ではなくなったし、履歴書にも新しい名前を書けるので、就職してみてもいいかと思った。一人でやっている仕事に寂しさも感じ、同僚という存在が欲しくなった。だいだい、私は子どもの頃から、特に虐待後人間世界の住人でなくなってから、寂しいと感じたことがなかった。人恋しく思い始めた50歳のころは、だから人間として回復のきざしが見えた年だったのかもしれない。

 

ここで、ちょっと思いついたこと。履歴書といっしょに住民票を提出しなくてよい会社だと、通称名で就職できるかもしれないなどと思った。やってみたことはないが、試したい人はやってみると意外に通るかもしれない。昔は就職に保証人も要らなかったし。

 

2000年代に久しぶりに就職活動をしてみると、ほぼ保証人を要求された。その都度、友人、知人に頼んだ。就職しようと思ったもう一つは厚生年金のためである。いままで男性と接することの少ない学習塾を自営していたせいで、基礎年金しかない状態。こんなに長生きするとは思っていなかったから考えてもいなかった老後の生活費問題もあり、一念発起50歳にして厚生年金がつく正社員を目指した。とりあえず、社会福祉士は4年制大学を卒業していると2年間の大学の通信教育を受けられる。通信教育の卒業試験に受かると、国家試験が受けられるという按配。次に目指したのは介護福祉士、そしてケアマネジャー。これら三つの資格を9年かけて全部一発合格した。

 

学校になんか通うお金がないから、仕事しながら勉強し覚えていった。とにかく65歳まで生きてしまいそうだし、そしたら生活費が必要だし何とかするしかなかった。

 

それで、児童養護施設・自立援助ホームの非常勤(パート)→訪問介護事務所の事務員(契約社員)→有料老人ホーム介護職(念願の正社員!)!→地域包括支援センターケアマネジャー(契約社員)→民間の職業訓練校講師(アルバイト)を転々とし厚生年金をかけてもらい続けた。福祉の仕事はしょうに合わなかったが、やればそれなりにできた。こんな理念のない私が講師で教えるなんてあまりに申し訳ないので、講師は早々に辞退させてもらった。

 

福祉の専門職で仕事をすることになると、当事者の圧倒的な存在を受け止めるのは、それはしんどいことだと分かった。利用者の子どもから暴言も食らった。だからと言って、私はケアの対象の人をおろそかに見ることもないし、足りないけれど自分の能力のかぎり理解しようとした。対象の当事者が言葉にしない眼の奥の感情を、同じ当事者として読み取ろうとした。それは学習塾の塾長をしているときも同じ、子どもたちが本当に語っていることを目の底から読みとる努力をした。だから、ケアの対象の当事者は私を信用してくれたように思う。自分がやってほしいように当事者に接する、当たり前のことしかできなかったが。管理部門の人間はほぼ金のことしか頭にないみたいだった。私の心をいれるやり方は全然理解できないようだった。

 

ある日児童養護施設でのこと。児童虐待では有名な精神科医を呼んで講演会を開いた。この医者も私が愚弄された1990年の子どもの虐待防止せンター設立のシンポジウムにいたに違いない。著書に性被害を「いたずら」と表現していたので直接指摘したことがある。

 

児童養護施設の女施設長は私の事情を知らずパートで雇っていたから、学習塾をやめて学習ボランティアしているおばさん程度にしか考えていなかった。私の生い立ちを知って私を採用した副施設長の許可がでて、私も講演を聞くために会場にいた。そばに女施設長が立っていた。私に向かって「この人に聞かせても何のメリットもないでしょ」と言った。エー!私に面とむかって!会場のみんなに聞こえた。まただ。また福祉の講演会でさげすまれた。顔から火が出るほど恥ずかしかったが、私はその場にい続けて最後まで講演を聞いた。そうするしかなかった。

 

施設を運営している夫のところに後から嫁いできただけの人だから、福祉的素質もない普通の方で、夫が歳で病気になったから施設長になっただけの方とはいえ、あなたは人間としておかしい。わたしよりはるかにおかしい。そんなレベルでした。

 

専門家の資質を疑って社会福祉士を取ってみた結果、見えてきたものは専門家と言われるほとんどの人たちの生まれもった性質と性格が、福祉の仕事に向かないっていうことだった。

 

私は福祉に向かないと自分で知ったから、できる限り早くやめようと思ったが、やめられない人も多いのでしょう。