その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

複雑性PTSDについての秋山剛医師の軽はずみな見解は、当事者の苦しみを冒涜するもので許せません。

慢性PTSDの私は当事者としてPTSD心理鑑定について本を出版している。

 

 

複雑性PTSDは2018年以降導入された概念で、それまではPTSDか慢性PTSDという使われ方をしていた。

火事などの突発的なストレスで発症するのがPTSDで割と早く完治する、虐待や戦争などの長引くストレスにさらされて治りにくいのが慢性PTSDと呼ばれていた。

私が鑑定を受けたのは2001年なので、当時はまだ私の診断名は慢性PTSDとされた。恐らく2021年の今なら複雑性PTSDそのものになるだろう。症状は50年以上続いている。一生治らないだろう。

 

※これ以降は複雑性PTSDCPTSD(Complex post-traumatic stress disorder)と呼ぶ。

 

 

 

詳しくは、以下の屈著を参考にしてください。小西聖子(たかこ)医師によるPTSD心理鑑定書を小西医師の了解を得てほぼそのまま掲載しています。

 

 

 

 

 

皇室に生まれた女性Mさんが複雑性PTSDを発症したと発表したそうである

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実は私はこの1年彼女の心の動きが気になり、本当のことが知りたくてウォッチングしていろいろな情報を収集していた。

伝統的な皇室を敬愛している層からのバッシングが一番多かったように思う。かなり厳しい批判が数多くされていてこれが分量的にはバッシングの大部分を占めている。

 

この皇室を敬愛している層からの情報では、

K家族をきちんと調べようとする宮内庁を止めたのは秋篠宮だという。

ここが一番初めの疑問である。

秋篠宮はなぜ娘の結婚相手の悪いうわさを確かめることを自らやめたのか?

 

 

その理由は、、、創作小説①で。

 

 

またヤフーの記事では自分がCPTSDだと言い、秋山剛医師に発表するように言ったのはMさん本人だという。どういうことか?何を明らかにしたかったのか?

 

Mさんが本当にCPTSDだとしたら、Mさんは両親のどちらかか、もしくは両方から虐待を受けていた可能性が大きくなるのだ。母親はヒステリーを起こし職員を怒鳴り飛ばし退職する職員が続出しているそうだし、父親も導火線が短いと自分で言っていた。

 

 

 

さて、ここからは私の創作小説①である。

Mさんが家庭内で虐待を受けていると仮定しよう。虐待がどの程度か分からないが本人がただのPTSDではなく、CPTSDと言ったということは性虐待も含まれると考えるのが妥当である。そのことをKさんやKさんの母親に打ち明けていた。2人の同情でMさんは癒された気持ちになったのではないだろうか?だから3人の結びつきは強くなった。

3人のあの強い結びつき状態は何かあると私は思っていたKの母親にそれほど魅力があるとも思えない。母親の新興宗教に引き込まれたのかと思っていたのだが、今回のCPTSDの発表親からの虐待が浮かんできた。

 

秋篠宮が結婚相手の素性を発表しないように宮内庁に支持を出したのは、Mさんが父親に虐待の件を暴露しますよ、いいんですか?と脅したからだ。その頃秋篠宮の家の中ではその件についてののしり合いがあったのだ。

私の家族でも全く同じことが起きた。社会に向けて活動するという私に「死ね、キチガイ」と罵声が飛んだ。

 

私はひたすらMさん目線で考える。

Mさんがとにかく何らかの理由で皇室から出たいというのは私には早くから分かっていた。Mさんは皇室から逃げたい為に、金に困っていそうで外国に興味があるKに目をつけて能動的に働きかけていた。交換留学生説明会はそういう人材の宝庫だ。Kは金と地位が目当てだと私は今でも思っている。Kに愛情は感じられない、Mさんにも必死さは感じるが愛情は感じられない。

MさんにKに対する愛情があれば自分を連れに針の筵の日本に戻るように言わないし、Kに愛情があれば8月中には横浜の実家に住んで自分が矢面に立ってMさんをサポートしたはず。あの二人はお互いを思いやりをもって守り合っていない。

 

Mさんは本当に頭が働く。そしてその後押しをしているのが虐待という秘密をつかんだKの母親だ。母親自身も適応障害と言う理由で職場から保証金を得ている。病気を使う手口は良く知っている。

 

と言う訳で、私の創作小説①には悪人しか出てこない結果になった。おやおや。

 

 

 

続いて創作小説②です

Mさんが大した努力もなく公務ができているなら、CPTSDではありません。

当事者の生の声を数多く聞いてきた私の印象では、彼女らは解離するので人格が定まりません。これを多重人格と呼びます。

(幸い私のCPTSDは軽いほうで怒りと意志の力が莫大だったので、3人格に分裂した解離現象も4年くらいで軽くなりました。精神病院入院も1回だけです。)

 

突然の感情爆発、希死念慮、攻撃性により、仕事を続けられません。精神病院の入退院を繰り返し人格が荒廃していく人もいます。途中少し和らぐ人いますが一生完治しません。これがCPTSDです。早急な治療が必要なので、外国で結婚生活を始めるなど無理なのです。

ところが、ニュースでは本人は結婚の準備も順調、最後の公務もにこやかにこなしています。もちろん、歯を食いしばって症状と闘いながら一瞬微笑むことはできるかもしれませんが、それも長続きしません。

CPTSDの患者ではあの安定感を逆立ちしても出せません。

だから和田医師が言っているように適応障害程度だというのが妥当なのです。

 

t.co

 

参考に羽馬千恵さんの本も紹介します。ひどい解離が痛ましい。

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もう一つの創作小説③の開幕です

Mさんの症状はCPTSDではない。と言うことは虐待の中身は平手打ちや大声での怒鳴りつけ程度の軽いものなのではないでしょうか。ネット情報では秋篠宮家から大声でのののしり合う声が聞こえていたそうですから、Mさんも十分対抗できていたのではないでしょうか?被害者がその場で対抗できるかできないかは、大きい分かれ道です。

 

私は抵抗できずに10歳から12歳まで過ごしその後も24年間抑えつけられていました。性器を触られ、往復びんた、蹴り飛ばし、もちろん毎日怒鳴られ、飯を食うな、中卒で女工になれ、16歳で真っ裸にされ一緒に風呂という生活でした。

父親にむかって言葉を発したのは、小6で性虐待をあんたには都合がいいからねと言い止めさせた時と、38歳にわび状を書かせひっつかんで飛行機で逃げたあの時だけです。

 

だから、ビンタを虐待とも思えないくらいなのですが、Mさんは怒鳴り声を虐待ととらえたのかもしれませんね。時間がたっぷりあるのでネットで検索して複雑性PTSDを知ったのかもしれませんね。

 

 

皇室は本当に必要か?

戦後GHQが象徴として昭和天皇を生き延びさせた時から75年たっています。象徴とは心の中の話です。国民が天皇が国民の幸せを常に考えていることに感謝し敬愛の念を持てばこその象徴天皇です。

平成天皇はそれを理解していたので、被災地に赴いては床にひざまづきねぎらっていたのです。パフォーマンスといえばそうなのですが、賢いやり方でした。

令和天皇もその轍を踏むつもりのようです。コロナ禍でパフォーマンスできていないのはお気の毒。

 

次の秋篠宮は困りましたね。ぼおーと突っ立ってるだけですから。アルコールの影響でしょうか、左手が震えています。

Mさん問題がそうすぐに片付くとは思えませんし、恐らく、次々と難問が生まれますよ。虐待的な家族とはそうしたものです。

 

 

皇室不要論へ段階的に移行するために、皇室経費縮小論はどうか?

皇室は、個人的な部分と公的な部分を分けて、個人的な衣食住は自分たちが自由に労働して稼いだらどうでしょうか?英国王室はとっくに自前で稼いでいます。

高級生活保護で養なわれる皇室の現状は、ごちそうを1年間食べさせる代わりに心臓をえぐられ生贄にされたインカの風習みたいで、かなりおかしいと思います。昔の日本で、橋を作る際、橋の安全を願って橋脚に生きながらくくり付けられた人柱のようです。怖い風習です、残酷です。

 

皇室不要論が盛んに議論されていますが、一気になくすのでなく、徐々に経費を縮小し、皇室の人たちの人権も復活させていくのが現実的方法でしょう。

いずれ、天皇は外務省の特別名誉職みたいな位置づけにすればいいのではないでしょうか?無能な宮内庁はもちろん廃止です。

 

 

そうすれば、Mさんのように自分を複雑性PTSDと誤った発表をしなくても済みますよ。

 

 

 

 

 

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自由を奪われていた子ども時代を克服する人生だった。

 

子ども時代、私は親から活動的に動くことを禁じられていた

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前回のブログで車の記事を書いて気づいたことがある。私は、18歳まで親から自由に行動することを禁じられていた。すっかり忘れていた。思い返すと、激しく抵抗することもなく私は唯々諾々と従っていたのだった。

 

 

家から逃れるために大学に入ることを計画する

虐待親の顔色を窺った

働きながら勉強するには、私は頭が悪すぎるし体力もなかった、おまけに極端な低身長だ。大学の費用を金だけは持っている虐待親に出させるのは理屈に合っている、慰謝料として。そして大学を出たら縁を切る予定だった。

 

他人なら最初から縁など考えなくてよいのに、加害者が身内なばかりに面倒なことになる。

虐待など関りのない人生を送ってきた方は、ここまで読んで家族への強い嫌悪感に嫌になるのでしょうね、きっと。でも、口に出さないが、加害、被害関係に陥っている家族は結構多いのですよ。

 

大学に入って家から無事に逃れることだけを考えていたから極端な制約をされていることに頭が働かなった。下手に逆らって自立心を見抜かれては大学に逃げるための費用が出ないから困ると思っていた。10代の私はとても弱くて自分に自信がなかった。

ずるくて姑息な手段でもいいから、逃げ延びたかったのだ。どこかにそんな皇族がいましたっけ。

 

 

公立高校の教師が同時にキャバレーを経営するカオス

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公立高校の教師だった母親は今の教師とは違いかなりの高給取りだった。母親の給料は万年平社員の父親より多い。ダブルインカムで潤っている家庭だった。そのうえ、色々ないきさつで母親はエロバーを経営し始めた(この辺は「もう、沈黙はしない」に詳しく書いた)。

 

 

 

住居はエロバーの2階だ。そんな状況で私は大学入学の準備を黙々としていた。

 

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こういう状況で父親による長女への性虐待は始まったのである。

 

だから、私は女性の性を売るたぐいの水商売を嫌悪している。女性の性を売り尊厳を損なうことは、全女性の地位を下げることだ。

 

公立高校の教師が水商売などできないと思うのは生ぬるい。このキャバレーの件も別記事で書かなければならないボリュームの為、後日記す。

昔の田舎の日本は今よりもっと男に都合の良い社会システムだった。男相手に女性を消費する商売はおとがめなしで、見て見ぬふりだった。

 

 

ジーンズは20歳で初めてはいた

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貧乏から這い上がった成金は概してケチなものだ。買ってもらえるのはすべて母親の気に入ったものだけ、子ども本人の希望など通らない。赤やピンクのワンピースを着せられ、先のとがった転びそうな華奢な靴を履かされた。まだ自分の好みもセンスも育っていない子どもには異を唱えることは思いつかない。周りの子どもが履いているのにジーンズも禁止だった。

18歳で予定通り大学入学という名目で家を逃げた。しばらくすると自分の好みの色が青や緑や茶色だと分かった。

20歳で初めてジーンズを自分で買った。  

 

 

 

自転車は30歳で乗れるようになった。 

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小学生の頃、クラスの子どもたちが次々自転車の練習を校庭で始めていた。楽しそうにすいすい走り回る子どもたち。

私も自転車に乗りたいと親に願い出たが却下。自転車に乗れるようになると遠くに行くからダメだという理由だった。母親本人は体育大学時代のレオタードを着て平均台で片足を上げている写真があったが。

小学生に自転車を禁止することは酷だ。自転車にも乗れないとクラスメートにバカにされたのは言うまでもない。

 

30歳を目前にした頃、知りあいに教えてもらう機会があって自転車の練習をしたら、数日で乗れるようになった。ケンケン乗りまでできた。嬉しかった。

 

 

 

車の免許は47歳で取った。

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私は自分を障害者だと思っていた

私は身長が異常に低い、実父から性虐待を受けている間に小学5年生で身長が止まったからだ。私は自分を障害者だと思っていた。実父から性虐待を受けしかも障害者になってしまった。

 

生きる意味を見出すまでには度重なる自傷行為と長い年月が必要だった。

 

だから、車に興味はあったがペダルに足が届かないと信じ込んでいた。免許を取るとしたら障害者用のコースがある公設の試験場に行くしかないだろう。

 

 

3年間の自転車通勤の結果は

学習塾を開設してしばらくは電車で通勤していたが、マンション購入の頭金で持ち金を使い果たした。電車代を浮かせる為に自転車で通勤することにした。

 

マンションと山沿いにある教室間はほぼ15キロメートル。高低差は分からないが、家からはずっと登りで自転車だと1時間半、帰りは下りになるから1時間ほどだった。電車通勤しても同じくらいの時間がかかるので、自転車通勤は良い考えだと思った。自転車通勤は3年続いた。

しかも、3年の自転車通勤のおかげで私の両足は膝がキュッとしまった長距離走選手のような筋肉質に変わった。

 

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ある夜、台風が来てしまった。暴風雨の中びしょ濡れで必死の形相で自転車をこいでいる私を二人連れのサラリーマンらしき男たちが憐れむように見た。今でもそのさげすむような表情を思い出す。

 

 

ある日、教室にむかっていた。信号で一時停車していざ自転車に再度乗ろうとしたのだが、どうしたわけか、乗れない。乗り方を忘れてしまった。

 

その日は自転車をそこに置いて、バス停まで行きバスに乗った。遅刻だ、携帯電話のない時代だ、生徒が教室の外で待っていた。とんでもない失態。この時のトラウマでときどき授業に遅れる夢を見るようになった。

帰りはタクシーで自転車を置いた場所まで戻り(自転車は盗まれることなくそこにあった)、自転車を押して家まで徒歩で帰った。その日の帰宅は教室から家まで4時間くらいかかった。

 

 

 

とうとう自転車に乗れなくなった

その日を境に自転車に乗れなくなってしまった。楽しいと思っていたのは心の表層であって、体は悲鳴をあげていたのかもしれない。

 

被虐待者あるあるで、苦痛を苦痛と感じないことがある。普通の人から見るとどうして?というようなことがある。逆に小さなことを受け付けないこともある。私の場合は人に触られること。肩に触れられただけで飛び上がる。怒りがわく。まさに、どうして?なのだ。

 

電車通勤は辛い

電車通勤は辛い。背骨を精一杯伸ばして吊革に中指が届くぎりぎり、座席に深く座ると足のかかとがつかない。他人からはよーく見ないと分からない程度の不具合だが、本人は常時変なところに力を入れたきつい姿勢を保たなければならない。しかも、無理をしていると察せられないように。

 

 

車の免許を取ろうとした。なんだ、足届くのか!

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試しに自動車教習所に行ってみることにした。足が届くかどうか運転席に座って見ようと思った。教習所の係に案内されたのは普通車。これじゃ無理かも、座って椅子をだいぶ前に移動させたら、届いた!

 

届いたでしょ、と係は満足げだ。教習代が入るから私より嬉しそう。なんだ、届くのか、ならもっと早く免許を取っておくべきだった!

 

 

自動車教習所は氷地獄

それからは仕事と教習所通いの日々。教習所は若い男が多いせいか冷房がきつい。ひざ掛けやセーターを持ちこんでもなお凍える。

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学科が続いていた頃とうとう30代からかかえていた子宮筋腫が暴れだした。痛みに耐えかねて病院へ行くと、すぐ手術決定となった。教習所へ休学届けを出し(休学は9か月まで認められる)、子宮全摘手術を受ける。この手術の件も別記事を立ち上げられるほど波乱に満ちているので後日記す。

 

 

入院の為に臨時講師を募集すると5倍の倍率で応募が殺到した

ほぼこのようなあやしい広告をだしてみた。

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この話も別ブログになるくらい盛りだくさんなので、詳細は後日。とにかく私が1か月不在の間に任せられる10人を採用し、後を頼み入院する。この時点で友人の協力で教室は2か所になっていたためそのくらいは必要だった。

公立高校に入れればよいだけの補習塾なのでちょっと気の利いた大学生ならすぐ講師になれる。上品な高齢女性も一人だけ採用してみた。前からいる講師5人を中心に配置する。丸々休む私の手取りはほとんどない。

 

 
階段から落ちる、仮免も落ちる

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入院手術から戻るとすぐに、今度は教習所の階段を頭から転げ落ち顔面強打。階段上で笑った若い男、お前だ、忘れないからな。

大学病院へ行くも、何もできないからバンソウコでも貼っておけと言われそのままあっさり帰宅。右頬骨が青黒く脹れて右目が半分しか開かないのにね。

たまたま、講師たちを塾長入院の配置のままにしていたので、生徒の前に顔を出さないで済んだ。入院シフトを1か月延長する。皿屋敷のお岩さんのような顔面は普段より何倍も怖いから見せると子どもが泣くかもしれない。

 

 

仮免の罠

学科は得意だから1回で合格だったが、仮免で遠くの信号のない横断歩道に人が一人ボーと立っていた時、ガツッと教官がブレーキを踏んだ。何が起きた?

あそこに横断者がいるでしょ、一時停止しなければという。

いや、あれ10メートルも先の横断歩道であの人渡るかどうか分からない感じでボーと立ってますけど、もう少し近づいてから停止してもいいでしょ。と思ったがその場では言わない。

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後で、会社の人間に高齢者をわざと落としてんじゃないよねと聞いた。

あれは、絶対ヤラセだ

 

と言う訳で仮免に1回落とされて次は受かった。47歳の高齢者は金があるから何回か落としても大丈夫と考えているとしたらおかしいから。教習代は年齢と同じ分だけとられるというが、私は途中休学もあり年齢以上60万円くらいかかった。

 

 

車がないと生きられない不健康な体質になってしまった

産まれてこのかた、健康的な生活をしたことがない私にも分かるくらい、コロナ下の現在は不健康な生活をしている。車所有がそれに拍車をかける。最近のスーパーは車で行ければ、ゴミ出しも買い物もできてしまう。

 

しかし、この便利さをいつかは抜け出す日が来る。

 

それは高齢ドライバーとして免許を返納するときだ。

 

親から教え込まれた不活発な生活を返上してから死ぬつもり

それが私のリベンジ。

 

 

 

 

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ユーザー車検の勧め(軽自動車の場合)

ユーザー車検は簡単、安い

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今年もユーザー車検に行って来たので、概要を書きます。何といっても2万円くらい安く済むので、節約にはユーザー車検がお勧めです。

 

 

 

必要書類

先にもっていくもの

1.軽自動車税 納税通知書兼領収書

2.自動車検査証

3.自賠責保険証書

 

軽自動車検査協会にあるもの

4.軽自動車検査表(1)

5.継続検査申請書

6.自動車重量税納付書

 

かかった経費

7.自動車重量税印紙  5000円

8.検査法定手数料   1400円

9.自賠責保険      19730円

合計       26130円

 

 

 

検査終了したらもらうもの

 

10.新しい自動車検査証

11.車に貼る次の車検日を示したシール

 

 

 

ユーザー車検のあらまし(ユーザーの動き)

①前述した1,2,3の書類を持って、車検に出したい車で管轄の軽自動車検査場に自分で行く。各都道府県に数か所ある。

②用紙を配布しているカウンターに行き、上述の4,5,6の用紙をもらい、その場で書き込む。書き方の見本があるので見ながら書き込む。分からない時はカウンター向こうの係に聞くと教えてくれる。

➂用紙の書き込みが終わったら、カウンターの箱に入れて待つ。書き込みに間違いがなければ、次に支払いのカウンターに行くように言われ、そこで上述の7,8の費用を払う。

自賠責申し込み代行のカウンターが別にあるのでついでにそこで自賠責保険に入ってしまおう。

⑤手続きがすべて終わったら、いよいよライン(検査するための流れ)にむかう。が、その前にタイヤのホイールを外しておく。マイナスドライバーを差し込むと簡単に外れる。

はめるのは結構大変。まっすぐにはまる加減を見ながらトントン、ガンガン手でたたいてはめ込む。私は最初は木槌で叩き込んでいたが、この間業者らしきオジサンが手でやるんだよと教えてくれたので、握りこぶしでたたいてみたらわりにすんなり入った。

 

オバサンが一人で苦戦しているとだいたい業者らしき男たちが嬉しそうに声をかけてくる。自分たちができることを苦労してやっている女の姿が大好物なのだよ、オジンたちは。

 

業者に金払わないでタダで聞いてごめんね。私ケチなのよ。だいたい、そういう声掛けの根っこはセクハラに通じているからね、ほんとはごめんだ。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー🚙

ここで、ライン棟に並ぶ。私の地域は都会なので結構並んでいる。ほぼ業者だが、ちらほらユーザー車検らしき老若男女もいる。

 

⑥ラインの初めは排気ガスの点検。マフラーに検査機の棒を差し込んで待つ。

⑦次は時速40キロを保って走行検査。

次にライトをパッシングして光軸の検査。

⑨最後は車を2メートル持ち上げてのタイヤと車の低部の目視検査。

。。以上でライン終了。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

カウンター棟へ戻って、上述の10,11をもらい終了。ホイールを戻して検査場を後にする。シールを車の窓に貼るのを忘れずに。

 

 

 

 

そしてお決まりのセクハラ事件があった

私はユーザー車検はすでに15年くらい続けていた。車は2台目だ。

15年間何事もなくきた。

 

管轄の軽自動車協会は、係員も親切丁寧、スピーディにことが運ぶ。なんの文句もなく、それどころか珍しくとても気に入っていた。何より車検代が1~2万円安くできるし。いつも通り、気持ちよくユーザー車検を終わろうとしていたのだった。。。

 

 

ところが、

一人の変質者のおかげで信頼関係が台無しになった。

 

 

上記のラインのである出来事があった。左右のライトの光軸を調べるために、ハイビームにしてパッシングをするのだが、左のライトがOKにならない。何度かやっているうちに、係のオヤジが「こうやるんだ」と言ってライトスイッチを握っている私の右手の上から素手でむにゅむにゅと触って来た。

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なに~、コノヤロウ。

 

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私はとっさに「こらあ、触るんじゃないよ」と車の外のオヤジを怒鳴った。見ると、直後に並んでいた車の運転席にはうら若い女性がいた。あの子までクダラナイことされたらイカン。私はさらに叫んだ。「若い子にするんじゃないよ。」

 

多分だけど、その日の私の服装は汚れても良いカジュアル、ハッチング帽を目深に可愛くかぶっていた。マスクもしてた。多分だけど、えらく若く見えたに違いない。アタシャア、来年70歳だよ。

 

すると、オヤジは「じゃあ、口で」とモゴモゴと訳の分からないことを言う。「当たり前だろ!」と私はすごんで、

最後のタイヤチェックの係のところで、起きたことを伝え所長に話があるからどこに行けばいいか聞く。

 

その係の若い男は、顔をしかめて「ああ、あの人は今日で辞めるんですよ」と言う。辞めることになっているのが免罪符にはならん。そういう話をしていることろを遠くのラインから例のオヤジは眼をそらさないで凝視している。きもち悪い。

 

所長とさっきのリーダーらしき若い男と検査場の奥のソファで話す。ハッチ帽を脱いでいったら、ふたりとも、あ、という顔をした。なんでだ。

 

ソファは少し奥まっているが人が行き来している。聞けば、かのオヤジはクレームが多すぎて今日限りで辞めることになっていると、責任逃れなことを言うばかり。

この検査場は、みな親切でスピーディに対応してくれて気に入っていたのに、年取ったからユーザー車検はもうやめようと思っていた時に、こんな不愉快なことが起きて残念だ。所長の教育が適切になされているか確認するために、2年後も来るからきちんと職員教育をするように。

 

不適切な人物は業者対応に回して、ユーザー車検で来る一般人には充てないようにしてほしい。例のオヤジは私の車もナンバーも知っている、ひょっとして住所や名前が車検証から知られてしまうかもしれない、絶対漏れないよう配慮してもらいたい。

 

残念だったのは、直後に並んでいた若い女性が見ないように聞かないように気配を消していたことだ。こういう問題は普遍的であなたにも関係しているのですよ、と教えてやりたかった。そういう我関せずという態度が女性全体の地位を下げていると知るべし。

 

所長は私の書類一式を手にすると持ち歩き、自らパソコンに打ち込み作業をした。

所長の名刺をもらい2年後に異動になっていないことを願うと捨て台詞。

 

とりあえず警察には言わないでおくので、2年後また会いましょう。

 

ということにして、その日はムカムカしたままではあったが帰る。

 

 

 

 

家に帰ってよく考えてみた。そのオヤジは今日の夜から誰の監督も受けない身分になる。オヤジは私の車のナンバーを穴があくほど見ていた。車種も知られている。駐車場に置いてある私の黄色い車を偶然見かけたら、自分が悪いにも関わらず仕返しをする気にならないとも限らない。

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すぐさま警察に電話をした。3年前の猫のエサ撒きオヤジの件で、警察に電話するときは110番がいちばん早いから遠慮なく110番をしてください、と警察に言われていたから、

 

臆せず、110番した。

 

30分ほど経緯を話した。車に傷などつけられたらその男が怪しいのですぐに調査を始められるように、あらかじめ説明したと述べる。窓口の警官はなるほど記録に残しておきますと応じた。

ついでに、かの猫オヤジの時と同様、家の周囲のパトロールを強化するようにお願いした。

が、猫オヤジの時は頻繁にきたパトロールがあまり来ない気がする。車も今のところ異常はない。

 

とりあえず、犯罪レポートアプリRader-zにレポートをしておいた。

 

 

 

 

 

 

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シェアハウス近況報告、任意後見人模索中。

新型コロナの影響がシェアハウスにも及んでいる

 

 

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複数人で一軒の家をシェアするシェアハウスも、コロナの影響から逃れられない

案外、社会とつながっているものだなあと感心しているが、のんきなことは言っていられない。

 

 

 

最初の入居者がシェアハウスに到着するまでにコロナウイルスに感染していた

このことを発表するかどうか迷ったが、本人の了解を取ってブログに載せることにした。今後のためにも知ってもらうのが良いと判断した。

 

シェアハウスに到着してから数日たって具合が悪くなり、本人が自分で病院で診断してもらったところ最初は陰性だったらしい。

陰性なのに、パルスオキシメーターを保健所関係者が直接持ってきて玄関外に置いて帰った。それを発見したのは荷物を外から運びこんだ私で、あれ、なんで?と思った。

 

陰性と聞いていたが、私もシェアハウスで本人と対面しないように気をつけた。また数日して、保健所からホテルに空きができたのでそちらで隔離させてもらうと連絡があったそうで、保健所関係者が車で迎えに来るとのこと。え、なんで?

荷物は要らない。3食つきで隔離してくれる。有難いことです。

 

 

ここで、重要なことを書きます。

当シェアハウスは普通のシェアハウスではない。私の思いが詰まった「親から逃げて自立する女性のためのシェアハウス」です。

 

だから、当然彼女も家族に連絡されると居所が分かり困ったことになる。彼女は「家族に伝えないこと」を必死に頼んだらしい。ついでに何を考えたか、私にも知らせないで欲しいと願い出たそうだ。(後で保健所の人から聞いた)。

 

それにはがっかりした。知らないと接触してしまうかもしれないし、何よりまだ信頼されていない気がした。会って数日だから当然と言えば当然だけど。多分私への感染を心配してのことだったと思うが、それなら陽性であることを隠さず話したほうが寄り付かないから安心だったかもしれないよ。

 

 

再度感染するかもしれないし、次の人へのお願いでもあるが、

 

 

接触する可能性のある人に自身のコロナ感染を隠してはいけません。

 

 

私もさすがにおかしいと思い、本当に保健所の車なのか確認することにした。保健所の時間外だったためこちらから電話ができず、県のコロナ関連夜間緊急連絡センターに連絡して、当該保健所と連絡を取れないか打診。

すぐに保健所から着信があったが、その間彼女からの電話中(ここで、やっとはっきりと陽性と本人から聞いた。)で出ることができず、再度またコロナ夜間緊急連絡センターに電話し保健所からの電話が取れなかったことを説明。

再度保健所の担当女性から電話が入った。忙しいのに迷惑そうなそぶりも見せず、親和性のある落ち着いた話し方に好感を持った。

 

 その電話で上記のことが分かった次第。陽性に変わり保健所でホテルを手配し車で迎えに来たのは本当のことだと聞いた。どこにも連絡できず保健所の人も困惑していた。家族に連絡しない件を私から再度お願いしても深く追及されることもなく、煩雑な対応をしてくれたことに感謝を述べた。

 

「ご関係は?」と聞かれたので、「身元引受人です」ときっぱり言うと、保健所も安堵している様子。それで、事はすんなり運び家族への連絡はなかったのではないかと思っている(分からないが)。

 

今回の件で自分の地域の保健所の力を再確認することができた。私も同じ保健所管内で地域包括支援センターのケアマネジャーをしていたから、その保健所には何回か仕事で出向いたことがある。地域の保健所の対応に誇らしさを感じることができて幸せだった。

 

陽性者がいてもいなくても、コロナウイルスが治まるまではどちらにしても一人体制にすることは決めていたが、こんな身近に陽性者がいて知らずに接触していたと思うと、私も社会で生きているのだなと実感する。

 

ちなみに今日現在、彼女は後遺症のだるさと嗅覚障害と抜け毛に悩んでいるが回復基調にある。コロナに感染しなければ、職探しをしているところだったが無理をしないようにね。お見舞いに賃料を半額にするからゆっくり養生してください。

 

 

ついては、シェアハウス利用を希望する方がいたら、

 

希望する思いを早めに伝えておいていただけると有難い。

2人体制にでき次第すぐに入居していただけるように、前もって交流をしておきたいのです。自立する思いを伝えてね。ただし、新型コロナ感染には十分注意をお願いします。

 

 

 

私は世捨て人として生きていた

ほとんど人と接触しないで生活していたので、正直コロナウイルスが身近に迫ってくるわけがないと高をくくっていた。友人知人も高齢者ばかりで活発に動く人はいなかったし。

 

 

公正証書を作っておかないうちは、高熱を発して死ぬわけにいかない事情がある

私は血縁と縁を切り、天涯孤独に生きている。死ぬ準備ができないうちにワクチンの副作用で突然死をすると、縁を切ったはずの血縁に遺産が回ってしまうのだ。それだけは避けなければ、今まで何のために努力してきたのか分からない。

 

従って、高齢者ですぐ打てるにも関わらず、私はまだワクチンを打てないでいる。万が一死ぬと加害者側に財産を取られてしまうから。だから、ガンガン使ってしまおうとも思うのだが、悲しいかな、節約生活がすっかり身について散財できない。

(ノД`)・゜・。

 

 

新型コロナウイルスは、私たち人類にいろいろな決断と覚悟を迫っているのではないか

これまで、見ようとしなかった真実や隠してきた事柄、怠けて放置していたことに決着をつけるよう、あのウイルスは警鐘として出てきたのかもしれない。

 

ちょうど、ライフワークのほとんどが完遂されたところだ。

一度、人生の棚卸をすることにした。今年1月、自宅マンションを売却したのも棚卸の一環ではあったが。

 

 

正式な公正証書を作った後、その管理をどこに頼むかを急遽模索中

公正証書の中身は自分で書ける。公証役場へ行って承認されれば正式な公正証書になる。だが、公証役場では、証書を預かるだけなので遺言を確実に実行する第三者が必要になる。

 

信託銀行か、NPO法人の見守り機能をお願いするか。はたまた個人的なつながりの人物に任意後見人になってもらうか、ここは考えどころだ。社会福祉士としては結構楽しい作業だ。

 

せっかく社会福祉士を取得したのに、自分の任意後見ができないのは悔しい限り。

 

 

 

 

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シェアハウス運営と虐待を理由にした戸籍名改名申請に、進捗がありました。

ライフワークの「シェアハウス」と「戸籍名変更」に問い合わせが続き、嬉しい悲鳴

 

シェアハウスに入居者がありました。

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初めての入居の為、準備不足は否めません。ばたばたと家財道具を運び込んでいますが、十分とはいえません。初めての方にはご苦労をおかけします。快適な環境までにはもう少しお待ちを。

洗濯機が壊れたのは想定外でした。運ぶ際にガタガタさせたせいで脱水ができなくなりました。古い支援品だったので洗濯槽を洗浄したら、なんだかわけの分からないモロモロした汚れ;つД`)が浮いてきて、槽洗浄を3回した代物です。未練はありません。

 

洗濯機だけはやはり新品が必要ですね。ジモティーも考えましたが、またあの夢に出てきそうな洗濯槽の汚れと格闘すると思うと利用は控えようと思います。新品を買うことにしました。

 

建物は鉄筋コンクリート造りなので1階は意外に涼しいのですが、キッチンで火を使うため1階にもエアコンが必要な気がします。この夏の様子をみて2機目のエアコンを買うかどうか検討します。

 

 シェアハウスもシェルターも親から逃げてくる女性のための施設です。

ですから、

入居者の個人的なことなどは書くことができません。どこで、情報が洩れるか分かりませんので慎重にことを運んでいます。

 

シェアハウスでゆっくり疲れをほぐし、ある程度の資金を蓄えたら自分でアパートを借りても良いし、後に続く人をケアしてくれるならそのまま住み続けシェアハウスの運営を手伝ってくれるも良しと言うところです。

但し、シェアハウスの運営は完全ボランティアですので交通費実費くらいしか出せませんから、いずれにしろ経済力をつけるのは必須です。

 

もちろん、合わないなと思ったら退去するのも自由です。

 

3部屋あるから3名定員と思ったのですが、シェアハウスの場合自分の家財道具を持ってくる人もいると思うので、1階の1部屋は荷物置き場兼緊急用予備室として残しておきます。

したがって定員は2名です。入居希望者が殺到する場合は先に自立した人から卒業していってもらうことになるかな。いずれにしても、このコロナの騒動がおさまらない間は定員1名にします。

 

 

最初の入居者がどうやって私のシェハウスにたどりついたかだけ、記しておきます。

 

最近のドラマをまねて、ツイッターで「#家族募集します」というハッシュタグでシェアハウス入居者を募集していました。ツイッターを見た方がDMで連絡してくれ、まさに、一刻を争う状況で緊急に対応しました。私のシェアハウスは誰でも入居できるのではないことを、はてなブログで確認してから連絡を下さったのでスムーズでした。

 

欲を言えば、「もう、沈黙はしない」を読んでおいて欲しかったのですが。

 

私がゴリゴリのフェミニストで女性の自立を第一に考えていても、性を売るハードタイプの水商売は女性の尊厳を損なうという意味で好まないなど、私の個人的な考えも知っておいてもらえると説明の手間が省けるし、意志疎通もうまくいくと思うから。

人間関係はとかく誤解というすれ違いが生じがちだし、人間関係がなにより難しいからね。前回のブログのように私は言葉には特にこだわりがあるから、私はなかなか難しい人間かもしれないし。。

 

それでも、

対応させてもらえて有難い。私のライフワークの一つを叶えさせてもらって有難い。

あとは、ゆっくり養生してじっくり先のことを考えて平穏な日常を取り戻してもらえたら嬉しいな。

 

 

 

 

 

父親の虐待による戸籍名変更の問い合わせがありました

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こちらも経緯は詳しく書けませんが、あしからず。

家庭裁判所で下の名前だけは変更の許可が出たのですが、氏だけ却下されたケースです。

現在同じ支部に再度申立書上申書を提出するべく準備中です。上申書は私が細かくチェックを入れさせてもらいました。

 

※最初の記事では申立書上申書をまとめて申請書と書きましたが、実際に運用する人に分かりやすくするために改めます。

申立書は、裁判所に備え付けがあってほぼA4サイズ1枚の用紙です。住所、氏名を書く欄の下半分に申し立てたい内容を書きます。全然たりません。

そこで、複雑な内容を説明するために上申書を自分で用意します。

 

本来、一度却下されるとその同じ支部に同じ案件で再度申請しても却下されることがほとんどです。弁護士もそのように認識している中で、果敢にも再度挑戦しました。却下になってもダメ元の精神です。却下になったら支部を変えたほうが良いので、引っ越しをしなければならないでしょう。大変な苦労です。

 

再度の挑戦ということを逆手にとって強調しました。

母親は「一回目は申立書の書き方も良く分からずひな形通りに書いてしまい、現状の説明をあまりしないで出してしまったが、本当はこんなに困っているのです。。。」と親子合計で11ページに及ぶ上申書を書きあげました。

 

前回2020年9月に改氏名に成功したBさん、Cさんと同様、親子で改氏名を望んでいます。母親が戸籍の筆頭者ですので母親だけの申立書上申書でいいのですが、今回は子どもにも上申書を書いてもらいました。

 

親子ともども分かりやすい文章で具体的な暴力と虐待を明らかにしている中に、心を打つ表現があります。

特に子どもが書いた文章は、幼い表現ながらも心の叫びがあふれていて、しかし冷静に自分を訴えていて心を奪われました。一生懸命書いたのだなあと目頭が熱くなりました。

 

これで却下にする裁判官だったら、人間の心を持っていないのではないかと思うくらいです。

 

さあ、どうなりますか、審判がおりて当事者たちの了解が得られたら書ける範囲でまた、良い報告ができるといいなと思っています。

 

 

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#駄言辞典・・世の中からなくして欲しい差別用語について(放送の現場編)

男女差別は無意識に言葉の内部に浸透している。意識の洗い直しをする必要がある。そして言葉を変えていこう。

 

「早く絶版になってほしい #駄言辞典」という本が2021年6月14日に出版された。出版元は日本経済新聞社日経BP

 

本の見返しで、

日本経済新聞社日経BP(Nikkei  Puisiness Pabulications, Inc)は2020年5月に、日経ウーマンエンパワーメントプロジェクトを創設しました。多様性を実現するうえで、まずは日本が最も出遅れている男女平等の問題から取り組みます。」 

( ー`дー´)キリッ

 

と、高らかに謳いあげている。

 

 

 それなのに、その日経が提供しているTV番組で差別が堂々と行われる。どういうことだ!

 

 私は日経がスポンサーの経済番組は好んで観る

一生女一人で生きると決めていた。親からの財産分与もなく加害者からの慰謝料もなく、0から一人で資産を作るしかなかった。必然的に人生は経済を中心に回っている。

 

30年前TV越しだけど、小池百合子に謝ってもらった

学習塾を経営しているときは帰宅が夜11時を過ぎる毎日。

従って、帰宅してもテレビ東京WBS(world buisness satellite)しか観るものがない。

その頃のキャスターは現都知事小池百合子小池百合子氏はWBSの初代キャスターの職に1988年から政治家に転身する1992年まで就いていた。

 

ある晩、いつものように仕事から帰ってWBSを観ていた。

 

性暴行を受け死亡した4歳の少女についた犯人の精液のDNA鑑定が1991年に日本で初めて行われたという報道がされた。1990年に起きた足利事件である(のちにこのDNA鑑定は誤りで再審請求のもと最新のDNA鑑定での結果2009年に無罪となった事件のこと)。

1991年の私は,

ほう、やっとそこまで来たのかと固唾をのんで小池氏や年配男性コメンテーターの話に耳を傾けた。話が終盤にさしかかった時、そのコメンテーターが放った言葉に血の気が引いた。

 

曰く、「こんな技術が出てきたんでは、犯人もおちおち犯罪を犯してられないですね。」

 

ひどすぎる。私はすぐにテレビ東京に電話を入れた。

 

応対に出た女性に「あのコメンテーターの言い方は犯罪を容認しているように聞こえるばかりか、被害者や遺族への配慮に欠けている。私は性犯罪の被害者側であり、性犯罪をなくしたいと日々活動しているが民間の活動でありなかなか理解されない。そこへ、影響力のあるテレビ報道であのような被害者を冒涜する発言をされては、被害者は浮かばれない。番組放映中にそのコメンテーターの方に謝罪と訂正の言葉を画面に向けて言っていただきたい。

女性は「少しお待ちください」と言って電話口を離れた。

戻ってきた女性は少し抵抗を示した。

 

私は重ねて言う。「ここで謝罪と訂正がないということは、あの意見がそのまま社会に垂れ流され、受け取る側はそういうものだと思ってしまうかもしれない。それほどTVは影響力があるということを自覚して頂きたい。勇気をもって訂正していただかないと、私たちの市民活動がマスコミのために潰されてしまいます。

 

女性は、「番組の中で謝罪してほしいということですか。話してみます。」

 

ということで、電話を切り、私はそのままTV画面を凝視した。

 

いまかいまか、時間は流れる。いよいよ番組が終わろうとしていた時、その高齢男性コメンテーターが「私に不適切な発言があったことを謝罪します。」と一言言った。何が不適切か触れないと分からないではないかと思ったが、横で小池百合子氏がそのコメンテーターに深々と頭を下げ、画面に向かっても少し会釈をしたような気がした。

 

小池さんに私のコメントが届き、男性コメンテーターの謝罪にまで至った。

もう、それでよいことにするしかなかった。

30年前のことである。

 

 

Tverはお勧め

さて、私はもはやTVも固定電話も持っていない。

余談だが、30年前に12万円で買ったNTTの固定電話の権利がこの間売ろうとしたら900円だった。いろいろ面倒な手続きもあってとてもペイしない。12万円はドブに捨てた(余談)。私はアンチNTTです。

 

で、今はTverAbemaYoutubeのニュース番組をパソコンのネット環境で観ているが、全く支障がない。いや、むしろ自分の観たい番組を選択してクリックする分、無駄な番組をだらだら見ることがなくなった。番組の途中でストップしたり巻き戻したりビデオと同じなのだ。とても快適な環境になった。

これにラジオをプラスしているから、毎日のニュースを逃すことはない。

全ての放送番組が視聴できるわけではないが、私の興味の範囲は網羅している。

 

TverだとBS放送まで無料で観られることが分かり、節約大好き人間の私はしんそこホクホクしている。無料なのは広告収入で運営しているからだ。コマーシャルにとられる時間が少しずつ増えている気がするが、無料のためなら多少の広告が出ることには甘んじる。むしろTverがつぶれないことを祈る。

時代はこっち側に流れている。NHKはいろいろな面で考え直したほうが良い。私はもはや完全なアンチNHKです。TVは捨てた。

 

2021年もまたテレ東に意見を送った。今回は謝罪ではなく態度を改めてもらった

さて、私は相変わらず経済番組を観る。

テレ東BIZ「マネーのまなび」は、メインキャスターの池谷(いけがや)亮の妙にテンション高い動きが目障りではあるが内容は面白い。ご意見番の経済学者村尾さんが安定感を出しているので救われている。

 

数回観たあたりで気が付いた。池谷チーフアナが部下である若い女性アナ森さんをチャンと呼ぶのだ。1時間の中で必ずチャン付で呼ぶのだから、チャン、チャン、と耳障りで仕方がない。

 

さっそく意見をテレ東BIZに送りましたよ。

 

2021年は電話ではなくtwitterを使った。Tverは番組ごとにtwitterできるように小鳥マークが貼ってある。さっそく、呼び方についてツイートしました。 

twitterの画面をここに貼りたかったのだが、私の能力では探し出せない。(わっと(id:watto)さんあたりが、これですか?と貼ってくれるのを期待(*^^)v)

 

そして、ツイッターを送った翌週の放送では、池谷アナは森アナの名前を一度もよばない。用があるときは手で示した。めちゃくちゃ違和感半端ない。が、その行動から私のツイッターが読まれたこと、ぎこちなくも私の意見を受け入れたことが理解された。

 

翌々週は、森さんと呼んだり、森アナと呼んだりしたが、一回だけ森 チャンが間違えて出てしまった。どんだけ社内で若い女性をチャンチャン呼んでいたか分かるね。習慣は恐ろしい。日経で出した「#駄言辞典」はそのことを言っているのだよ。

 

さて、3週目はさすがに慣れたらしい。森さんと森アナという呼び名だけで済ませることができました!拍手

 

そして、私のツイッターが原因で将来のある若い女性が職場内でおかしな立場にならないかとても心配した。

しかし、さすが日経肝いりの番組と放送局である。その辺のコンプライアンスはクリアできているようで一安心。賢い森アナも上手に受け答えしている。テレ東を優良企業と認定しよう。森アナを降板させることがあったら許さないよ。

 

 

 

 私が差別用語として気になる言葉遣いについて

言葉狩りネトウヨたちは言うが、狩るつもりはないのでご安心を。気になるから発信するだけです。発信を受け取って、そうだその通りだと思ってくださる方がいたら嬉しいというだけのことです。

 

私が個人的に気になる表現

主人→夫に変える。人の夫には夫さんあるいはつれあいさんと呼ぶ。パートナーさんでもよい。(主人の対語は奴隷ですよ、妻は嫁と呼ばれて一生家の奴隷なのですか?)

 

嫁→妻に変える三省堂国語辞典を作っている人が漢字に罪はないと言っていた。

とんでもない。漢字に罪があるのです。漢字は象形文字から変化していく間にたっぷりと思想性を注ぎ込まれた。差別感を形にしているのが漢字なのだ。       

女と言う字がそもそも両手を前にあわせて膝をついている象形であるからしていずれ変えなけれならないね。纏足をされていたから女はすっくと立てなかった、そういう時代を漢字は反映している。

もその女がかんざしをさしている象形でかなりステレオタイプの女像だが、他に差別的でない漢字が見当たらないから嫁はとりあえず妻に変える

   

3○○チャン→○○さんと呼ぶ。チャンは幼く未熟な人間に使う呼称。

会社内で若い女性をチャン呼ばわりするとは何事か。大人に使う場合は蔑称になる。

 

すご~い自分の言葉と感想を話そう。バカの一つ覚えで若い女芸能人が使っているが、なにも考えていないのが見え見えで不愉快。そういう私も人の話を聞いていないときに使うが。

      

 

※他にもいっぱいあるが、ブログの字数が多くなりすぎたので第2弾に譲ります。

      

 

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