私の著書「もう、沈黙はしない」を読んでブログにあげてくれたので、私もあさみまなさん著「いつか愛せる」を読んでブログにします
親は子供に責任を取るべきだが、夫婦は対等なので必ずしも責任を取る必要はない
親はこの世に生んでしまった子どもに責任をとるべきなので、
母親の取るべき最良の道は子どもを加害者の夫から遠ざけることでした。それができなかった母親は親失格なのです。
自分一人で家を購入したのをきっかけに、45歳の時私は「それでも親か!」と一蹴し血族すべてと縁を切ることができた。
夫婦関係は共依存を起こしやすい
まなさんの場合、夫とは性愛を含んだお互いの意思で人間関係を作っているので、DVを完全なる犯罪とは決めにくいところがありますね。
お互いがお互いの本を読むのが苦しく感想が表現しにくかった
まなさんが私の本を読むのが苦しくかつ感想が書きにくかった理由を探りたいと思います。実は私もそうでした。ご本を何度も読み直しブログの掲載が遅くなりました。
お互いに土俵が違いすぎてコメントしにくかったことに、読んでから気が付きました
まなさんは私の「もう、沈黙はしない」を読んで困惑したそうです。どうにもコメントが書けないと悩み、アマゾンのレビューは書評だと思ったそうです。私が簡単な気持ちで「読んでみてください」なんか言ったためにご心労をおかけしました。
私はアマゾンに寄せてくれたいろいろな人のレビューの生の感情に胸が詰まって泣きました。アマゾンレビューは決して書評のようなものではありません。多くの当事者の方が辛いのに気持ちを寄せてくれました。
当事者の方のレビュー以外にも、明らかに当事者ではないのに深い洞察をされている方もあり、私が本当は血縁と家父長制をテーマにしていることに気づいてくれた人が何人もいたことは、その方たちの名誉のために書いておきます。
宗教と共依存は私がもっとも避けてきたこと
共依存と宗教は私がもっとも避けてきたものだったのですよ。まなさんは、そのど真ん中にいらっしゃるのですね。知らなかったとはいえ、失礼しました。
接点がなさ過ぎましたね。
カナダ人が設立したカトリック系私立学校に8年通ったのに、私はキリスト教教育に染まらなかった
私は5歳から13歳までカトリックのミッションスクールに通っていて、小1のときから宗教という時間割もあった。クリスマスに子どもたちは天使の格好をさせられて讃美歌を歌わされる(いまだにアデステフィデエレス・・という意味不明のラテン語の歌詞が出てくる)。
2階の渡り廊下で学校校舎とつながっている修道院には、カナダ人の神父や修道女が暮らしていつもバターの香りがしていた。御み堂(ミサ室)に生徒は出入り自由だったが、入るとき置いてある聖水を額につける必要があった。担任は日本人の修道女で穏やかな人だったが、ついに実父による性虐待は告白することはできなかった。クラス一番の親友は洗礼を受けていて、お祈りの時に白いホスチアを神父から口に入れてもらっていた。
それなのに、キリスト教はまったく染みつかなかった。私が極度のリアリストだったせいかもしれない。
ひるがえって家庭ではドメスティックバイオレンスと性虐待に支配された子ども時代を送った
私は10歳から12歳まで実父からの性暴力にさらされたせいで、長い間性暴力や親の夫婦関係について考えてきた。
親の夫婦生活はあまりにも男性中心であり男性の暴力に満ち満ちていて、女性である妻はそこに甘んじて生活しなければならない。私はその不平等に憤慨していた、しかもその夫(実父)は私にも性虐待をした。
私に離婚をせまられると、母親は離婚すると教師を止めなければならなくなると私を騙した。母親はすでに加害者の一味だったのだ。
男女が織りなす夫婦関係と制度に深い違和感をもった
10歳で私は結婚はしないと決意した。不幸にも女に生まれてしまったら、そんな理不尽に自ら飛び込むなんてとんでもない、結婚制度に入るということは自ら虐げてくださいと言っているようなものだと思った。
あさみまな著「いつか愛せる」はドメスティックバイオレンスと共依存がテーマ
自分の経験と志向性から、「いつか愛せる」を読み解くのはとてもとても難しかった。
女性相談員の意見に同意していた私
1990年代に私が参加していたフェミニスト集団の女性センターの相談員たちは、DVの相談に来る女性たちが、
「夫の暴力から一時的にも非難するのがよい」とどんなに説得しても、理屈では分かっているのに結局夫の元にもどってしまうのよねと嘆いた。かたすかしの連続だという。「共依存」という言葉を初めて知ったのもこのころ。
そしてこのころはそれら女性相談員のいうことに、私はうなづいていたのでした。
「いつか愛せる」を読んで、共依存のすさまじさを尊敬をもって知りました
まなさんの「いつか愛せる」を読んだ今は、DVにからむ共依存はそう単純なものではないと知りました。
お互いを理解したいと思えばこそ裂こうとする。肉片と血がまじりあい、その痛みに耐えかねてもだえ同化していく。それでは相手を損ねると思い何度も引き裂く。その繰り返される行為そのものが愛と呼べるものなのかもしれないと。
だから、今はかつての女性相談員のように、「だったらさっさと別れればいいんじゃないの?」と軽く言えなくなった。
1990年に運営をした自助グループ
私が一時期運営した「性虐待当事者の会」に来る女性たちは性虐待の当事者なのに結婚していた。私はもはやそのことが信じられなかった。当事者の会で吐き出してすっきりして、夫の世話に明け暮れる生活に戻る彼女たちを送りだすのはひどい徒労感を呼んだ。半年でその自助グループから身を引いた。当事者たちの集団ではファシリテーターを含めて離婚が良いと思っているのは私一人だったかもしれない。
女性相談員たち集団と当事者たち集団の乖離
先の女性相談員たちの集団は男との服従関係は即刻解消すべきというのがマジョリティだった。不思議なことに、なぜか当事者たちは違うのだ。これは私の永遠の謎として今でも残っている。
一度自助グループのメンバーをフェミニストの集会に連れて行ったことがある。ところが、数分もしないうちにその人は泣きだし「怖い」と言って帰ってしまった。
その時「なんで?」と目をあわせた女性が、後に私の戸籍名変更に多大な力を貸してくれた女性相談員の人でした。彼女がいなければ加害者と同じ忌まわしい戸籍名は変更できませんでした。
「暴力は治らない」と女性相談員から一蹴されたということが、「いつか愛せる」の中に2回も出てくる
まなさんはよほど悔しかったにちがいない。
専門職ではない人から同じ言葉を言われてもそこまで傷つかなかったと思う、そもそも期待していないから。
信頼し理解してくれるだろうという期待を持った時、それが果たされないと人はとても傷つく。
DVと宗教問題については私は傍観者の立場でしかない
しかし、いろいろな人間関係の問題を好転させる一番のカギは傍観者集団だと思う。傍観者の意識の中に薄くても共感が芽生えたなら社会は変わるからだ。いじめ問題も暴力も黙ってみている人たちが助長していると言っても過言ではない。
私は性暴力の経験のない周辺にいる人々にこそわかってもらいたいと思って発信している。その延長に血縁と家父長制の問題が俎上にあがると良いと願っている
宗教は何者かに自分の全体を任せてしまうものと解釈している
小学生時代にキリスト教が無益だと悟って以来、私は逆に宗教アレルギーになってしまった。
あらゆる宗教は私には全く関係のない事柄で、自分以外の何者かに自分をまかせるなんてことは恐怖でしかない。世界中で宗教のために命を投げ出して戦争を繰り広げているこの地球上の人間たちが全く理解できない。
結論としてDVと共依存は謎のままです
理解したくてまなさんの「いつか愛せる」というご本をしっかりとゆっくりと2回も繰り返し読んだのですが、いまだによく分かりません。謎はいつかほどけるかもしれません。傍観者としての私はいつでも知りたい、理解したいと思っていますから。