💐 1月22日をもって、ブログがめでたく3年目に入りました!
ちょうどはてな運営さんからhttpsに変更できるとお知らせがあり、すぐに変えました。これで、セキュリティが向上し安心ですね。
思い起こせば、「もう、沈黙をしない・・性虐待トラウマを超えて」を書き終わったのが、2018年1月。1月22日にはてなブログを始めたのでした。
宮本ゆかりさんのこと
はてなブログにしたのは、ネットで宮本ゆかりさんを知ったからでした。
宮本ゆかり(id:kaoagete)さんは、実名で顔をだし、加害親も住んでいる故郷で美容院を経営し、2018年の時点ではすでに、地元のテレビの取材も受け父親からの性虐待について朝の番組で堂々と告発したそうです。何も悪いことはしていないから、顔をあげて歩くという強さが素晴らしい。
加害父と母親がまだその土地で生活しているにもかかわらず、地元テレビで実父の性暴力を話す。。
その地元には小中高の同級生がたくさんいるのでしょ、その人たちはどういう反応なの?と聞いたことがあります。ゆかりさんは、みんな理解して優しくしてくれたと、こともなげに答えました。
私には考えられないことです。私なら心無いうわさ話の種にされて心を病み、結局その土地で暮らすことは断念するような気がします。
この違いは何でしょうか。ゆかりさんは人をあまり嫌いにならないし、優しい。どこか性善説で生きているようにのんびり笑顔で生きています。かたや、私は策略の塊、すぐには人を信用しない。人間は罪を背負って生まれてきたと思っている。
ゆかりさんが、はてなブログでカムアウトしてくれた行為は、信じられない勇気と決断でした。たくさんの被害者が勇気づけられたのです。
宮本ゆかりさんは現在40代、子どもも育ちあがり、自らは再婚を果たし美容院も順調。最近は新聞や雑誌の取材、被害当事者からの相談にも乗っているそうです。
「私の実家は朝日新聞です」とゆかりさんは ↑上のブログに書いています。
はっと、しました。
私は故郷はとっくに捨てたし、だから実家というものがない。清々しい天涯孤独の人生を生きている。私が言うならわかるが、夫や子どもや同級生に囲まれて暖かい生活をしていると思っていたゆかりさんから、そんな言葉が飛び出るとは思ってもいなかった。
その言葉で、ゆかりさんが歯を食いしばって心の欠落を埋めてきたのだということが分かったのです。親から虐待を受けるというのは、そういうことなのだ。
私のカムアウトは30年前
私が、30年前性暴力と闘う女たちの集会に出ていた頃は、今より緊張感が走り殺伐とした雰囲気を否めませんでした。反対勢力らしき男が会場で大声で怒鳴ったり、恐ろしかったものです。中年の女性からも、そんなことで騒いでと非難されたり前途は多難で、世間になかなか受け入れてもらえなかった。
ちょっと話すだけで、マスコミは色めき追いかけてきました。けっして被害者の助けになろうとか、人権を訴えるアドボカシーをするとかではなく、ただ物珍しい話題だから追いかけていただけです。
だから、地元や路上でカムアウトするなど考えられなかった。
虐待に取り組む専門家たちのシンポジウムで、ひどい扱いを受けたことは何度も書きましたが、専門家ですら被害者に寄り添うことはなかった30年前でした。
30年前は性暴力反対と宣言し活動している人の多くは、研究者や文筆家や活動家でした。いわゆる普通の人々が性暴力反対運動に参加してこなかった。
実際、私の自助グループに参加した女性をフェミニズム活動グループに連れて行ったところ、怖い、といって泣き出して驚いたものです。何がどこが怖いのか分かりませんでした。
そんなこんなの歴史をすり抜け、長生きしている私が今見ているものは、30年前に想像した理想の姿です。
性暴力被害者が路上で語るまでになった現在
若い20代、30代の当事者たちはフラワーデモに足を運び、路上で自分の性被害について語っています。そして、これが30年前と違うのですが、それを見守る男性たちの姿もある。考えられない快挙です。
しかし、30歳といえば、私がカムアウトしたころに生まれた人達。
それにしても、訴えても、訴えても、性暴力がなくならないこの社会はいったい何なんでしょう。
ことさらフェミニズムと言わずとも、人間的に信頼し合える男性パートナーが支えになるのに、そういう男性はまだまだ少ない。
お茶は自然の流れでどっちがいれてもいい家庭が欲しいなあ。
フェミニズムは、どうしようもない理不尽な男女差別構造があって生まれた鬼っ子なのだ。差別がない世界ではなくてよろしい。但し、差別は世界から消えないだろう、当分の間。だから、私は話す、書く、議論する、告発する、これからも。
このブログも、性暴力など意識に登らなかった男性たちにも読んでもらいたくて書いています。
心ある男性が増えれば、痴漢をするような男は恥ずかしくて生きていられなくなる。男性よ!頑張れ!
女性シェルターとは
女性シェルターは公立、NPO、民間運営といろいろあります。女性特有の問題で困難にある女性のための一時宿泊所です。そこで心を癒し、生活を立て直して新たな出発をする場所です。
公営はだいたい婦人相談所という名称で、主に男性からのDV被害者を保護する目的で各都道府県にあります。児童相談所の一時保護所と異なり、母親と一緒にここに入った子どもは学校に通学できます。
しかし、夫もなくDVでもなく、親の暴力が原因のPTSDによる不調で18歳以上になってから自滅する女性はなかなか受け付けてもらえません。私はそれが分かっていたので大学進学をきっかけに加害親から逃げようと、人生設計を用意周到に練りながら耐えました。
民間のシェルターもそれぞれですが、こちらは補助金が出ないので運営費が必要となります。
注意1※ 福祉ではなく営利だけで運営している悪徳業者もありますから、お間違いのないように。
注意2※ 不動産会社が経営しているシェアハウスと見分けがつきにくいのが現状です。
気を付けなければならないのは、NPOや民間シェルターは運営責任者の性格や団体の方向性(例えば、宗教法人運営とか)に合わない場合があります。合わないのは入居者の問題ではなく、運営側のポリシーのせいですから、合わないときはさっさと他を探すのが良いと思います。
私たちの女性シェルター(名称ほーむ)の理念について
さて、私たちの女性シェルター(ほーむ)は、性虐待被害者の私が運営責任者であるために、私が子どもの頃欲しかった親から逃げる場所のイメージを元に作っています。
したがって、若年女性を親から守る家を目指しています。
自律・自立した一人暮らしは、依存体質の人には難しいかもしれません。
ほーむは、孤独に耐えて経済力を独力でつける道を推奨しているので、そこは外せません。
自立を目指す人なのだから、窮屈な規則などなくても自己管理ができなければなりませんよね。「自己管理し自立した経済生活をめざす」のが理念です。
ほーむの2020年度入居要項改定について
2019年7月に募集要項を発表しましたが、2020年1月に、さらに簡便な利用ができるように簡素に変えました。
私たちが提供できるのは、住居です。
衣食住の住の部分がなければどれほど生活が楽になるか分かりませんね。
私も18歳から中古マンションを購入した40歳までの22年間家賃を払い続けました。支払った総額1300万円の家賃がなければどれだけ楽な人生だったことかと思います。1800万円で購入したマンションは管理費300万円をくわえると2100万円。なんと私は50年の間に住居に3400万円を支払い、そのお金はマンション売却価格がほぼ0円になるために、煙となって跡形もなく消えてしまいました。恐ろしいことです。その3400万円があったらと、今でも時々悔しいのです。
家なき子の私の場合は住居費用が、貧乏の原因なのです。
そこで、ほーむの家賃は思いっきり安くしました。
月5000円ぽっきり。家賃は家の修繕協力金のようなものです。
他に必要な経費は日常共有消耗品備品費(ペーパー、洗剤類他)5000円、光熱費は均等割り(私もボランティア管理者として宿泊することがあるため一人分として補充します)。合計月10000+均等割り光熱費で、とりあえずエアコン付き個室に住み、入浴も自炊もできます。電化製品と家具、浴室(リモコン使用の最新式)、トイレ(シャワートイレ)の備品完備、消耗品も使い放題。
食事は全自炊で提供はありませんが、スーパーが歩30秒のところにあり、8時過ぎると店内キッチンで調理したおいしい総菜が半額になります。カラッと揚がったコロッケは絶品。
日常共有消耗品費は節約して残ったら貯めておいて、皆で外食に使います。
光熱費は均等割りなので、一人が突出して使いすぎないように工夫して節約に努めましょう。
すでに独り暮らしをしていて入居する場合は、電化製品や家具は持ち込んで構いません。1年後に独立するときまた使えるように。
入居期間は最大1年ですが、学校に通っている場合などは相談ありです。
あくまで暗礁に乗り上げた困難から一時避難して、次の自立した暮らしを準備するための家です。
暗礁に乗り上げたとき一時的に生活保護を申請しても良いとは思いますが、生活保護もあくまでも自立するためのセーフティネットにすぎませんから、生活保護に慣れてしまう前に抜け出しましょう。
一戸建ての2階にある個室2つを2人の女性でそれぞれ使ってもらいます。1階はキッチン、浴室、トイレ、スタッフルームという共有部分になります。
入居者が1人しかいない場合でスタッフも宿泊できないときは、一戸建てで1人で生活することがありますので、それができる方に入居してもらいます。
以上、2020年1月の改訂でした。