その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。少子化は家父長制が原因。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に戸籍名変更。自立したい女性のための無料空き家あり。どけち節約と終活と防災サバイバルが趣味。

ブログ100記事達成! 記念だからライフワーク(シェルター、シェアハウス、保証人)について書く。

 

100記事を書くのに3年5か月かかった。

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これほど少ない投稿なのに、わっとさん(id:watto)ははてなブロガーと呼んで下さる。こそばゆい限り。

遅筆は今に始まったことではない。けれど、継続力には自信があるからこれから200記事に向かってゆっくりと歩いていくつもりである(生きているかな?)。

 

 

特に収益はめざしていない、というか収益にする方法がいまいち分からない。

 

 

私には訴えたいことがあり、書きたいことがあるから書いている。それだけ。

 

 

 

ライフワークは10歳で決まった

最初の性暴力被害は9歳だった。 

10歳で実父から性虐待を受けたとずっと書いてきたが、実は9歳で知らない大人の男から最初の性暴力を受けていた(本には書いている)。

 

 

実父からの性暴力の衝撃が大きかったために、最初の9歳の被害がかすんでいたが実はこの体験も劣らず侵襲的なのだ。なぜなら、実父は、このとき被害に抵抗できなかった9歳の娘の気弱さをしっかり見届け、自分も犯行に及んだからだ。

 

森田ゆりさんから「性暴力の加害者に顔見知りとそうでない人間の違いはあるか」と尋ねられたとき、「違いはない。血縁、顔見知り、通りすがりの加害者に共通しているのは、男を女の上に置く思想だ」と答えた。

 

今でも、男の子が生まれて喜ぶ風潮があるが、そういう基本の部分で「男を女の上に置く思想」は、母親たちの中にすら根付いている。恐ろしいことだ。早く気づいて欲しいものだ。

  

 

若いころ(10代~20代)よく見ていた夢がある。

私は灰色の渦が巻く海で溺れかけていた。まさに渦に吸い込まれようとしたとき、遠くから同じように渦に巻かれながらも泳ぎながら近づいてくる人影を目にした。私は、喜び勇んで必死に手を振った。いよいよ近くに来たその人影を見て私は絶望する。その人も溺れていた。そしてそれは私自身だった。が、その影が近づいたほうへ移動することで私は渦から逃れ生き延びることができた。

 

孤立無援の子ども時代をよく表している夢だ。

 

あるいはドッペルゲンガーの病理か。小中学生のそのころ、よくどこそこを歩いていたね、どこそこの店から出てきたねとクラスの子に言われる事が多かった。全く身に覚えのない場所だが、クラスの子は自分が見たのは絶対に私だったと自信を持って譲らなかった。

 

 

そして、

10歳の頃の私は60歳の自分を透視していた。厳しい孤独が霊的な能力を目覚めさせたのだろうか。修行僧が霊的能力を身につけるように。

 

成長してからはその要素はほぼ消えた(ように思う)。そしていい加減な性格が出てきた。もともと怠け者で小心者でいい加減な人間だったのが、実父からの性虐待という命をも揺さぶる衝撃的な体験が私を哲学的人間に変換させていただけだったのだろう。 

 

長じるにつけ、リリカルな要素はペーソスな笑いに置き換わり、いい加減で楽な老後を楽しんでいる。良いことである。今は心底そう思う。現在進行形で苦しんでいる若い人たちのツイートを読むにつけ、長生きしてみて欲しいと願う。その手伝いがしたい。

 

 

ただ、あい変わらず未来予測は得意である。

 

 

さて、10歳で決めた私のライフワークについて語ろう。

1、生涯結婚しないし子どもも作らない、生命の連鎖から外れて生きる。この時点で   私は血縁の家族と絶縁することを目指した。10歳の子どもがそんなことを考えるだろうかと訝る人もいるかもしれないが、実際そうなのです。10歳の頃の私のIQは今よりはるかに上だった。

2、もし生きていたら、子どもの学習教室を経営する。家の外で無差別に成人男性に接触するのは苦しい、できるだけ自分の安全な空間にいたい。ひねり出したのが学習教室だった。

10代から20代にかけて自殺未遂を4回していたが本当に死にたいわけではなかった。私の自殺未遂はSOSだった。が、誰も気づいてくれないまま死ぬこともままならず、結局30歳を迎えてしまった。

3、30代の頃に出てきた目標として、

  シェルターを作って私と同じ境遇の少女の自立を支援する。自分だけが助かるのではなく、同じ思いを抱えている少女の存在が気にかかるようになる。

4、40代の頃に出てきた目標として、

  シェアハウスを作って、自分の老後の生活を充実させる。もはや、長生きするしかない状況になり、それならばいっそ挑戦的に生きようと決心した。

 

1つ目と2つ目は達成した。

3つ目の目標のシェルターに少女が入って自立するために頑張ってくれれば、

4つ目のシェアハウスで自分も一緒に楽しい生活ができたら、私のライフワークはすべて完遂する。

 

 

 ブログが100記事になったちょうどその6月に

シェアハウスを女性専用としてリニューアルし終わった。いつでも入居ができるので改めて募集要項を載せる。

 

簡単な要綱だけ載せるので、入居希望者は「もう、沈黙はしない」の最後のページにあるメールに連絡をください。

 

※シェルターもシェアハウスも場所などは極秘です。首都圏とだけ言っておきます。働き口がたくさんある地域をあえて選択しています。仕事には困りませんよ。

ただし、メールで連絡後に個人的に知りえた情報は絶対に公にしないようお願いします。

 

 

 シェアハウス募集要項 

※そもそもは、シェルターを卒業したがまだ一般のアパートでは不安な人のために設けたが、シェルターから移動する人がいがない場合や定員に満たない場合は公開している。

※募集対象:女性のみ。年齢は問いませんが、2,3人で自立して穏やかに暮らせる性格の方。

※募集人数:シェアハウス1名。

      (新型コロナがもう少し落ち着くまで各施設3名定員のところ、1名のみで利用してもらいますので、現在シェアハウス1名のみの募集になります。

 

※シェアハウスの住み方:要するに普通の個室シェアハウスです。小さい可愛い一戸建て3LDKに今だけ一人で住めます。家賃1.5~2万円。防犯カメラがあり親や夫から身を守れます。近隣にシェルターがあって協力体制を敷いていますので、身に危険が迫った場合お互いに助け合うことになります。

 

※保証人がいない人は、保証金4万円(退去するとき返還)を置くことで代替します。仲介手数料、敷金、礼金すべて0円。つまり、引っ越し費用プラス6万円あれば入居できます。家具のない方は電化製品その他用意します(中古ですが)。

 

※入居後新たに職探しをする場合、就職先の保証人は私が引き受けますよ。

※シェアハウスを出てアパートでひとり暮らしを始める場合の保証人も引き受けますよ。

 

 

 

私はとにかく女性の自立を支援させてもらえれば嬉しいだけなのです。それがライフワークなので。

 

 

ついでにシェルターの募集要項も載せておきます

※募集人数:シェルター0名。

      (シェルターには管理人として私が暮らしていますので、コロナが落ち着かない間は満員ということにします。でも、緊急の場合は受け付けますよ。)

 

 

シェルターの要綱は以前載せたブログをお読みください。

2021年現在、

シェルターでは野菜作りができていません。今後の課題です。

yagawafuyu.hatenablog.com

 

 

 

 

 

家族がいなくて一番困ったことは保証人がいないことだった

コノハ(id:konohatan)さんのブログを引用させていただきます。保証人がいない人が利用できる公的、私的機関を詳しく解説してくれています。

 

この記事によると、保証人問題はほぼ解決したも同然と大変心強く思いました。ぜひ、お読みください。

dakedo-ikiru.hateblo.jp

 

 

私は入院手術の時友人に死体引受人になってもらったし、アパートを借りるときの保証人代わりに有限会社を作った。会社で借りて自分が保証人になるつもりだった。が、アパートを借りる前にマンションを購入することができたので使うことはなかった。ただただ会社の法人住民税が無駄になってしまった。

 

戸籍名を変えてからは、名前を気にしないで自分の作った会社以外の会社に就職できたから、転職のたびに友人をとっかえひっかえ保証人として頼んだものである。

 

友人に頼みにくい場合は、上記のコノハさんの記事の中の制度も利用しよう。

 

 

 

 

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