2021年をどんな年にしたいか、考えた
目標
1、ブログを月に2回以上更新する(できれば)。
2、性教育、性差別、性犯罪について、さらにさらに啓発させてもらい、世の中の人々に正しい知識を持ってもらう。
3、シェルターとシェアハウスを整備し、実際に利用してもらう。
(※ただし、新型コロナウイルスの感染を防ぐために、シェルターもシェアハウスも利用できる人数は、1名に制限しないといけないけど。そしてそのうちの1名は私が占領している。('_'))
4、若い被害者の人たちに、勇気と自尊心と信頼を取り戻してもらう活動を続ける。
さっそく目標1の「ブログの更新」をします
来たる1月22日で、はてなブログを始めてから丸3年になります。なぜはてなブログにしたのかは、1年前のブログに書きました。
熱しやすく冷めやすい私にしては、3年間も欠かさず書けたのはコメントやブックマークをしてくださる皆様のおかげです。とっても励みになりました。そして、はてなブログの記事は深い考察をなさる方が多く、自分が書けない時も他のブロガーの方の記事を読むのが楽しみでした。
だから、続けられました。みなさま、(人''▽`)ありがとう☆
そして、わたしには訴えたいことがある。だから、書き続けます。
ツイッターで時々見かける痛ましい報告。集団で性暴力を受けた女性が数日後に自殺してしまった。また、1月10日のyahoo記事に19歳の女性を、可愛いからという理由で路上で体当たりして押し倒した29歳の男の記事が載っていた。
どれだけ怖かったか。その女性が立ち直るには、残りの人生で繰り返されるトラウマのフラッシュに無限ともいえる時間、晒されなければならないだろう。
性暴力を受けたのはついていった女性が悪いという論調が、氷の剣のように被害者を突き刺す。
人を常に疑いの目で見ていない女性が悪いのでしょうか?
私は性虐待を受けて以来、人間不信の時期が長く続きました。それでも、性被害はふいにやってきました。10代から20代の間は無数に。
60代になっても解離してしまうことがあり、そういう時に町内のオヤジに突然手首をつかまれ引っ張られたこともありました。日常的に男性不信で用意周到に身構えていてもなお、性被害はいとも簡単に発生しました。
これは、する側の無自覚の問題ではないかと思うようになりました。
性被害は性暴力をする側の問題だと考えたときに、幼い頃からの私の人生の生きにくさの謎が解けたように思います。
自分がいくら気をつけていても、やる側は追いかけてでもやるのです。無自覚だから悪気はなかったと弁明さえできてしまう。無自覚だから。
こんな愚劣な社会は変えなければならない。
今年もがんばります。次回のブログは「性教育」がテーマです。
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