その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

隠して生きなければならなかった性虐待の事実、語っても誰からも非難されない社会を作りたい。

私が実父から性虐待を受けて辛かったことの一つが、隠して生きなければならないということでした。他の人のブログを読ませていただいても、みんな語れない苦しみを吐露していますね。

 

生い立ちを隠して生きるとは、家族はもちろん性虐待にまつわるすべての人や事柄、故郷や学校や友人や親せきのことも、性虐待につながりそうなことには触れられないということです。私は故郷から逃げ遠く離れ、18歳以前の記憶と歴史を捨てなければなりませんでした。話せないのです。話すとふいに虐待のことに触れてしまいそうで。

 

楽しそうに家族話をしている人をいつもうらやましく思って見ていました。家族話をふられたときは、性虐待に触れないように注意深く計算しながら話すしかありません。いっそなにも話さないでいられたら楽なのに、職場や学校ではそうはいきませんよね。

 

なぜ話せないのか。①話すとフラッシュバックが起きるから。②話すと周囲の人にドン引きされるから。③話すと自分や家族や親せきが噂の種になるから。④家族や親せきに強く口留めされるから。私の場合殺されそうになりました。(その経緯は今は書けません。いずれすべて明らかにしたいとは思っています。)⑤自分自身のなかに「恥」の塊が育ってしまったから。

 

 

実父からの性虐待が起きてから55年、もういいでしょう。私は言いたいことを言うことにしました。私が告発することで、あまり関係のない人まで悪い影響が及ぶかもしれませんが、そんなこと考えていられません。今まで他人のことばかり考えて自分を押し殺して生きてきたので、もうこの辺で、そんな人生とはおさらばしようと思います。幸い、加害者の実父も実母も亡くなったと思われます(思われるというのは、縁を切ると宣言してから20年の間血縁とは没交渉で、私は現住所を隠して生きてきました。向こうからすればいわば失踪ですね。だから、お互い生きているのか死んでいるのか分からない状態です。)

 

 

加害者と加害者側についた人々は、私が口をつぐんでいたおかげで、地域で尊敬されるような人生を送り、おだやかに死んでいけたでしょう。私が黙っていてあげたおかげですよ。私は慰謝料もなく財産分与もなく、ほっておかれました。私が黙っているのをいいことに、あなたたちはなかったことにしてしまいましたね。

 

 

私は血縁と縁を切ることになると、分かっていた。慰謝料も財産分与もないだろうことも予想していた。だから、高校生の時に大学の学費を慰謝料のつもりで出させた。出してもらったという恩義はない。慰謝料なのだから。

 

 

同じことを書いていた方の文章を読みました。なんと性虐待を受けた私たちは同じような境遇に陥ることでしょう。これを個人的なことと思ってはいけないのではないでしょうか。つまり社会的な何かの構造があるのではないかと思うのです。それを解き明かすのが私の今後の課題です。

 

 

実父からの性虐待当事者の方が、生まれ育った地域で生活しながら、実名で体験を語っていることを知りました。加者者はまだ存命で、語っていることも知らせたということです。私のなしえないことをなさっている。その苦しみがいかばかり大きいか。しかし、堂々と顔をあげて生きると力強く言うその方を、心から尊敬します。私なりの応援をしたいと思います。

 

 

性虐待の事実も含めて普通に人生を語り合いたい。性虐待を特別なことと思われずに心を通わせる交流がしたい。語っても誰からも非難されない社会が欲しい。そういう社会を作るためには、先陣を切って私たちが語る必要があるのでしょうね。聞いた人たちが、えっと驚いたり、いつのまにかいなくなったりしない社会を作りましょう。