その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

あれは集団いじめだったと、40年後に気づいたうかつな私。

家庭内の暴力が戦場と化して神経を張り詰めていたために、家庭外にいる時の私はどこかうわのそらで生きていた

 



そのせいか知らないが、学校や職場でのいじめをあまり感じないでいた。学校ではチビやデブは言われたし職場でパワハラやセクハラはあったし、道を歩けば胸を触られるかブサイクと侮辱されるかしかなく、道を歩けなくなったこともあったが。。

なぜか同僚からのいじめなんてほぼないと思っていた。感覚がマヒしていたとも考えられるけど。

 

 

 

教室運営という自営業を開始するために、5年くらいあちこちの塾や音楽教室や英語教室を渡り歩いた

お茶くみ拒否で大企業を1年で退職し、私は学習塾を自営する目的を持って、教室運営のノウハウを蓄積する(盗む)ために各種教室を5年かけて渡り歩いていた。そのうちの一つが音楽教室だった。

ノウハウを調べているなどおくびにも出さずに笑顔で表面上は素直に働いていた。主な業務は音楽教室の受付月謝の管理電子オルガンの演奏デモンストレーション楽器販売

 

 

特別に客の個人レッスンを認められた

ブサイクなりに上品でニコニコしているから年配のお客さんの受けが良い(キャラはいくらでも作れるようになっていた)。ある医者の妻に気に入られ、あなたが家に教えに来てくれるなら楽器を買うわよ、と言われた。会社に相談すると楽器が売れるならと副業の許可が下りた。講師の最下級の資格試験を受けて受かったのはそれからすぐのこと。

仕事の後、週1回電子オルガンを教えにその医院に通った。当時では破格の月2万円の家庭教師代。当時の給料は9万円くらいで家賃4.5万円を払っての生活は苦しいから2万円は助かった。

たまたま、給料を上げてほしいと会社に申し出ていたところだった。社長の答えが振るっていた。「足りない分は親に出してもらえばいいじゃないか」

???私はとっさに「働いているのに、いい年してそんな恥ずかしことはできません」と言い返した。ついでに親は両方とも死んでいることにした。

 

。。。と、話がずれたが、いじめ問題を説明したいのでもう少しお付き合いを。

 

 

デモンストレーターの業務のために私だけ本体の楽器製造会社で研修を受ける

音楽教室は本体の楽器製造会社があり、楽器需要を喚起するため音楽教室を全国展開している。各教室は代理店ということになるからそれそれ中小企業の社長がいる。

つまり本社とはその楽器製造会社の直営ホールで別格なのである(ちなみに1年で辞めた一部上場企業と同じ銀座にあった、これ言うと分っちゃうかもね、深い詮索はなしということで)。

 

一週間昼食が出たが、いつもカツどん、15時にはクリームメロンソーダと決まっていた。確実に太った。研修の内容は、まあびっくり。銀座のママの客あしらい法だ。片方の手を客のすねにもう片方を別の客の肩に、声は背後にいる客にかけ続けるのだという。ほんとかいな。

でまあ、その研修を終えた私はマクドナルド茶店電子オルガンを弾いては、楽しいよ~と売りまくったわけです。目的を持った人間は強いのだ。なんでもできる。

 

 

社長がやたら新入社員の私を持ち上げてくる

企業訪問しては面白可笑しく放送するDという中年タレントのラジオ番組がきた。私だけがその場に呼ばれ、社長は上機嫌で「この人はうちの息子と同じ大学で。。」と誰も興味のないことを勝手にラジオにむかってしゃべっていた。恥ず。

 

発表会の総合司会を先輩女子社員を差し置いて私がまかされた

音楽教室だから、年1回生徒たち200人くらいの発表会がある。都会的センスの女子社員が10人近く人いる中でなぜか入りたての私が総合司会をすることになった。一丁裏の田舎臭いワンピースに身を包み高校時代に放送部で培ったアナウンス力を駆使した。

 

実父から天地がひっくり返るような仕打ちを受けなければ、私は物事をあまり考えないぼんやりした人間で、かつただのミーハーで終わったに違いない。高校で放送部に入ったのがそのよい証拠だ。黒歴史だ。

 

売上100%になり全国から集まった達成社員100名くらいととともに表彰された

最終的に販売目標を100%クリアしたということで楽器製造会社の合同表彰式に出席させられた(場所は高輪プリンスホテル)。それも実は調律師のやさしいオジサンが自分のお客を私の売り上げにつけてくれたとか、10台のノルマのところ本当は8台の売り上げだったのに、まあいろいろ下駄をはかせてもらってのことだった。

 

 

そして、女子社員から集団でいじめにあったと、5年くらい前(65歳)にとつぜん気づいたのである。

あれ?あれはそ~か、いじめだったんだね!突然天から悟りが降って来た。

 

音楽教室に入社して以来、たしかに、私だけいつもいい思いをしていたことに気づいていない。そこが、私のうかつなところなのだ。

そりゃあ、嫌われても仕方がない。嫉妬は人間の一番怖い感情だと思うよ。

 

 

他の支店の女子社員からお誘いがあった

ある日社内電話で他の支店の女子社員から「今度女子社員と社長で食事をしようと言うことになったけど来れる?○○日××時間ね」とお誘いがあった。私は喜んで参加すると答えた。

ところが、当日、女子社員が全員来なかったのだ。

 

 

女子社員は誰一人来ないで、社長だけが待ち合わせ場所にいた

「他の人はどうしたのですか?」「なんか、みんな都合が悪いみたいだよ」。これでもまだ私はそ~なのか、と思っていた。

 

カニでも食べるか」と大きなカニがかかっている店に行こうと、社長は私の肩に手を置いた本能的反射的に肩をゆすって手を払った

。。。。。

社長は「あ、じゃあ、カニでなくてもいいか。」とそばのハンバーガー店に入った。

なんで?

食い意地だけはってる私はあからさまにがっかりし、そそくさと食べて30分もいないでお開きになった。話す事なんかないもんね。

 

私を持ち上げたのも、売り上げに下駄をはかせてくれたのも、すべてセクハラをもくろんでいたバカ社長の伏線だったのだ。

 

社長には腹が立ったが、それでもまだ女子社員たちの悪意に気づいていない私。。つい5年前まで。

 

 

手を振り払った後、社長からのいじめが始まった

それからが大変だった。社長の逆襲が始まった。楽器販売会社の地域担当が代理店を回って会議を開くことがある。会議に私も呼ばれたが、その席で社長が私に「お前は仕事ができない!」と怒鳴ったのだ。社内評価で「洞察力」が5のうちの2につけられてもいた。

仕事の内容についてちょっと質問しただけで、「そんなことはあんたが知らなくていい!」と他の中年社員に言われたり、居心地は悪くなったね。

 

あ~、そうか。肩に置かれた社長の手の意味を「洞察」してセクハラを甘んじて受ければ「洞察力」は5だったのか。会議の場で言い返す立場にないことは知っている。悔しさのあまり涙がにじんだ。

 

これは、子どものころ箸と茶碗を持っている私にむかって夕飯を食べながら「働かざる者、食うべからず」といった父親と同じ構図だ。その時私は、「ああそうか、だからパンツの中を見せなければならないのか」と思ったのだ。

 

 

せめてもと労働基準監督署へ通報した

2年でその音楽教室はやめたが労働基準監督署に、管轄にそういう音楽教室がありますと電話した。労働基準監督署は企業名を聞きたがったが、そこは武士の情けでふせた。まだ20代だったから電話しただけでもエライ。70歳の今なら億さず企業名を出すね。

 

 

 

 

 

いつも通りにお口直しに、

ここで映画の話

フィンランドNATOに加盟申請を出した。一度ロシアに侵略されているのだから怖いのは当たり前。あんなきれいで民主的な国が暴君の餌食になるのはみていられない。応援する気持ちをこめて、フィンランドらしい素敵な映画を紹介しよう。本当に心がほっこり暖まりましたよ。

でも、こんな映画を作れるフィンランドですら徴兵制を敷かなくてはならない、なんて悲しい世界だ。

残念ですがGYAO!での無料配信が終わってました。レンタル¥550だそうです(T_T)。それでも安いくらいの価値ある映画です。

 

 

オンネリとアンネリのおうち、ふゆ

あらすじ

仲良しでいつも一緒にいる、オンネリ(アーヴァ・メリカント)とアンネリ(リリヤ・レフト)。正直者にあげますと書かれた手紙とお金の入った封筒を拾った二人は、バラの木夫人という老人(エイヤ・アフヴォ)から水色の家を買う。離婚した父と母の間を行ったり来たりしているアンネリと、9人もきょうだいがいて両親から相手にしてもらえないオンネリは、この家に住むことにする。二人は、個性豊かな近所の人々との生活を楽しむが……。

 

 

 

 

 

 

 

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