性暴力の被害者が書いた本が出版されたので、さっそく紹介します
被害の様相も被害者の状況も一人として同じことはない。それぞれの状況をたくさんの人がリアルに書いて、その文章を読んでくれる人がたくさんいることが大事。
みんな違うとはいえ共通することが一つだけある。被害者は形は違えど、一生性被害の影響を受け、忘れ去ることはできないということ。たとえ本人が幸せと感じる瞬間があったとしても、経験のない方には頭の片隅においていてほしいことがあります。
私たち性暴力被害者の頭の奥底にはいつも性暴力の光景が影のように貼りついていることを。
その意味では、性加害者は加害した数だけ人の魂を殺し人生を壊している。ひとに苦しみを与えることや人の心を殺すことをなんとも思わない人間が、この世からいなくなることを願っている。
宮本ゆかり著「regenerationそして生きる」について
待ちに待ったはてなブロガーの宮本ゆかりさんの本がとうとう出版になりました。
regenerationとは「再生」ととらえてよいだろうか。まさに、本の中のゆかりさんは蘇ったかのように見える。
性被害はいまだに若い人々の間で多く発生していて、被害者は人生を歪められ、周りの無理解にさらされ、その傷の深さから回復できず、己の価値を己が貶めるような生き方を余儀なくされてきた。
このゆかりさんの本はそういうさまよっている若い被害者の女性たちのロールモデルになりうるかもしれない。ゆかりさんのように生きれば、自分を取り戻せるかもしれいと女の子たちは希望を持つのではないか。
ゆかりさんとは個人的にメールでやりとりしてはいたが、里親になっていることは知らなかった。ゆかりさんは本気だ。本気で親からの虐待に正面切って向き合っている。ゆかりさんの包容力とおおらかさに触れ、里子は安心して育っていることだろう。
TBSやヤフーニュースで紹介された後、ゆかりさんのもとにはたくさんの相談が寄せられているそうだ。その一人一人に丁寧に応えているそうだ。美容室経営の傍らにそういう活動をするには相当の忙しさに違いない。私はあまり邪魔をしないように見守っていこう。
本の中にカメラが好きと書いてあって、納得がいった。毎日新聞で堂々と写真に写り、ブログのアイコンを自身の横顔にしている、本の中にも素敵な写真がちりばめられている。
ゆかりさんにとって、写真は顔出し告発という意味以外に楽しさもあるのではないかな。だから 本の中のゆかりさんの笑顔は本当に幸せそうに輝いている。
宮本ゆかりさん出演のドキュメンタリー
写真が好きだからこそ映像に登場することも楽しいに違いない。ホント、嬉しそう。
(*^^)v
池田鮎美著「性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています」について
刑法改正のロビー活動をしている一般社団法人SPRINGのメルマガにときどき池田鮎美の名前で文章が寄せられていた。その文章は血を流し、もだえ苦しみ、泣き怒り、しかし言葉はあくまで透明なのだ。私は池田鮎美さんのその文章に感動し幾度も涙を流しながら読んだ。
どんな人なのだろうと思っていた。もちろん被害者なのだが、その紡ぐ言葉はただものではないと思っていた。
池田鮎美さんは刑法を変えないと社会が変わらないという視点が揺るがない。
治療されるべきは被害者ではなく社会
今回、池田鮎美著「性暴力を受けた私は、今日もその後を生きています。」を読んで、納得した。彼女はずーと文章を書いてきて書くことを生業にしていたのだ。そして仕事中に遭遇する性暴力やパワハラで何度も書けなくなり、しかし、書き手としてもがきながら再生していく。取材側だからという自恃から伊藤詩織さんと同じように社会性を手離さない。だからこそ本の裏表紙に「治療されるべきは被害者でなく社会」と書いたのだ。
その精神の原点は中学校時代にあった。
中学校時代の壮絶ないじめにより亡くなった親友ユバが、今でも池田さんと並走している
そのように思わざるえないほど、親友ユバは何度も何度も登場する。池田鮎美さんは窮地に陥るたびにユバに話しかける。亡きユバはいつも前に突き進めと答えた。
詳しくは本を読んで頂きたいが、いじめの中心が校則を盾に取った上級生だということに衝撃を受けた。髪をショートカットにしないユバを集団いじめのように追い詰めていく上級生たち、笑って見ている生徒たち、教師の姿はそこにない。
とうとうハサミで髪を切り刻み血を流すユバ。精神病院に入院し自殺したユバ。不条理に屈しない精神はユバから池田さんに引き継がれた。
何度も襲いかかる不条理な性暴力やモラハラに死の淵を覗きながらも生き抜く。不屈の精神とはこういうことだ。
刑法改正に尽力していた池田鮎美さん
2017年に110年ぶりに刑法が改正された。私は参議院法務委員会のインターネット中継で参考人として発言する山本潤さんをかたずをのんで見守っていた。
そして、委員全員が挙手をして、「強制性交等罪」が成立した時画面の前で大きく拍手をしたものだ。嬉しかった。
2023年6月16日、刑法の改正案が参議院を通過し「不同意性交等罪」が成立しました
さすがサンケイ新聞!、「不同意性交等罪」の「等」が抜けている!興味がないのがバレバレ。
「強制性交等罪」という舌を噛みそうな法律は「不同意性交等罪」となり、同意年齢が13歳から16歳に引き上げられました。
13歳!なんていう同意年齢をもっている国が恥ずかしかった、16歳は世界共通の不同意年齢だし女性にとってもなんとか性的自立(自分の性は自分が決める、発言ができる状態)ができる年齢だ。
やっとロールモデルとなる被害経験者が出現した社会
上記の2冊の本の共通点は、実名顔出しで生きぬいているご本人たちの覚悟と再生力の力強さだろう。若い被害者たちはこれらの本を読んで作者たちのように生きたいと思うに違いない。
ひるがえって、矢川冬(私)は本人は必ずしも再生しなくてもよいとする、変わるべきは社会だから。
私は65歳で「もう、沈黙はしない」を書き、70歳になった今は自分自身は蘇りも再生ももはや必要ない。若いころは闘争と逃走とサバイバルで精いっぱいで回復は視野に入ってこなかった。特に障害を持っていれば無理はできない。
1960年代の被害について話すと墨東病院の精神科医に嘘だと言われた。精神科医は「そんな嘘をつかないで親を大切にしなさい」と怒った(親は加害者なんですけど)。一部の性被害者からも、加害者の罪を追求することを過激だと私は批判されたものだ。その当時の被害者は骨の髄まで家父長制に浸からされていたからやむをえないことではある。
マスコミに出ようとする人は「出たがり」と陰口をたたかれた。
当時は社会を変えるのではなく、被害者がカウンセリングなどで自分の感情や意識を矯正して男や社会に合わせていくのが正当とされた。(とんでもない日本社会!)
フェミニストカウンセリングを標榜している平川和子などは「カウンセリングの目的は被害者が加害者を許すことにあります」と豪語した。私はカウンセリングを止めた。傷は深まるばかりだった。私の時代は何より同じ被害者同士が分断していることがきつかった。
ちなみにキリスト教信奉者の平川は、聖路加国際病院の牧師に性暴力を受けた被害者が性暴力救援センター東京(SARC)に助けを求めた際に、「そこには私の仲間がいるから対応できません」と言ってのけたことがニュースになっている。
願わくば、SARCの会長から平川和子を解任しついでに平川に紐づいている斎藤クリニックも被害女性にかかわらないようにしてほしい。彼らに傷つけられる性被害者がこれ以上増えないようにしてほしい。
SARCの名誉のために、そんなひどい会長のもとでも一部まともな相談員は頑張っていることを付け加えておきたい。相談員のなり手がない中、会長平川の思いどおりに動かされているにしてもだ。
それがどうだ!今は堂々と顔を出し名前を出し、映画を作り、TVで特集を組んでもらっている。
気高く素晴らしい時代が到来
確かに今の20代~50代の被害者たちは黙っていないどころか、輝こうといている。素晴らしい時代が来たものだ。
性被害が無くなる日までもう少し待てば実現できるかもしれない。私は生きている間に見れないかもしれないが、兆しは確実に感じる。そのように、感じさせてくれる若いサバイバーたちに感謝したい。