その後を生きる、矢川冬の場合

実父からの性虐待サバイバー。「もう、沈黙はしない‥性虐待トラウマを超えて」出版。社会福祉士。家父長制絶対ダメ。HSPシニア独り暮らし。性虐待を事由に明記し戸籍名変更。女性無料シェアハウス運営。趣味はどけち節約と終活と防災サバイバル

数年ぶりの確定申告、私の仕事人生をちょっとだけ振り返る。

確定申告のお知らせが市役所から届いた

 

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現役の時は、自営業が長いから確定申告で税務署には20年以上も、毎年毎年イヤッというほど通った。

 

 

なぜ自営業を目指したのか、1970年代の日本企業のお茶くみ問題

新卒で一般の会社に就職してみたものの、1970年代の日本の会社は考えられないほどの男尊女卑社会だった。

 

笑っちゃうくらい漫画だった。そもそも4年制大卒の女子の募集枠はなかった、しかも私は潰しの効かない文学部。短大の待遇で良いですか、それなら採用しましょう。結婚したら辞めるのでしょう(期待)?という訳で就職難のおり、仕方なく滑り込んだ。

 

朝は始業の15分前に制服に着替えすべての机を拭いて回り、時には自前で花を飾ることも要求された。営業の男性社員たちが帰ってきたらすかさずお茶を入れ、男性社員のやる気が失せないように気を配る。しかも、20、30個の湯飲みの持ち主を覚えるというアホらしさ。

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これって、家庭内で専業主婦がやっているようなことですよね。要するに1970年代の日本企業は女性社員を専業主婦扱いしていたわけです。

 

そのあいまに簡単な単純労働。あまりに単調なので眠くなる。コンピューターなどない時代、プログラマーという職種が登場して数年という時代だ。

あまりに退屈なので、自分で勝手に作ったチラシを会社のデュプロ(昔あった簡易印刷機です)で刷って外回りを志願したら、許可がでたこともあった。

 

周りの女性社員を見回すと20年もその単純労働をしているという中年女性が机に貼りついている。女子社員は情熱や創意工夫など必要はない、まして女性の意見など聞かれない。

これが世に言う女性会社員の「腰かけ問題」だったのです。離婚してもスキルがなくて行き場がない専業主婦と同じです。腰かけOLがやがて専業主婦となり日本の男女差別を助長する勢力になる。腰かけOLと専業主婦は構造的に作りだされた女性特有の地位なのです。

女性を「腰かけ」などというふざけた地位に落とし込み、遅い出社と同時に熱いお茶を入れさせ午前中いっぱい煙草片手に新聞に読みふける働かないオヤジどもが窓際にごろごろいた。それでも当時のホモソーシャル社会はそんなオヤジどもを養ってやるのが当たり前なのだった。苦々しい目で睨みつけていたのは私だけだったかもしれない。

 

家で自分のパンツを洗わせながら、妻に「誰に食わせてもらってるんだ!」とほざいても許される狂った社会だった。

 

2022年の今、会社内でそんな態度ならクビになりそうなことですが、本当に現実だったのですよ。え、いまでも働かないおやじはいるですって?すぐに駆除しましょう。

 

1年で会社を辞めて自営業を目指したのは、結局お茶くみが原因だった

くわえて、私にはのっぴきならない事情がある。私には帰る家がないのだ虐待する親から逃げる為にひたすら忍耐の日々。やっと逃げ出しても都会のアパートの家賃が重くのしかかる。家賃さえなければ、こんなに苦労しないのに。

自分の家が欲しい。欲しい~~。

 

大家という人種を恨んだ。家を持ち大家という身分になってリベンジしてみせると決意した。

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1970年代は女性の会社での給料は男性の半分。そんなんでは、自分の家は買えない。私は1年で一部上場企業を辞め自営業を目指した。職種は私が一番得意な分野、すなわち勉強部門。学習塾を始める準備のために、学習塾、英語教室、音楽教室などいろいろな教室に勤めた。当時は就職時の保証人は不要だったから助かった。もはや正社員ではなかったが教室運営のノウハウを身につけるためなのでどうでもよい。おかげで、最後に勤めた英語教室が廃業するにあたり運よく業態を引き継ぐことができ、学習塾に作り替え有限会社にしたのである。

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保証人がいないのでアパートを借りることすらできない。有限会社にして自分が保証人になることを思いついた。当時は有限会社は300万円の見せ金定款を用意すれば作れた。すでに学習塾を個人経営していたから300万円の現金は用意できた。それでも司法書士に払う30万円がもったいないから、本を読んで法務局で教えてもらいながら自分でワープロを打って定款を作ってしまった。保証人代わりの会社だから適当だった。

 

確定申告は個人の時と有限会社の時とはかなり違う

個人自営業の時は経費の計上も簡単で、毎年自分で白色申告で済ませていた。

有限会社にするとバランスシートなど余計な資料が必要なので、フェミ仲間のつてで一人の女性税理士を紹介してもらった。有限会社を辞めるまで、その税理士に確定申告の時期になると年に1回売り上げと経費の証拠になる資料を郵送する。1回3万円でいいですよというお言葉に甘えて、送り返してくれたバランスシートと申告書を税務署に持って行くだけ。有難いフェミの仲間たち。「女は女を助ける」のシスターフッドが頼もしい。

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今年は2021年1月に売ったマンションの売り上げについてのお知らせだった。

確定申告は5年くらい前に最後の仕事の職業訓練校講師の退職申請と同時にふるさと納税の還付金を申請した時以来だ。それ以降は年金生活に入り所得税がないからふるさと納税もできなくなった。そもそも市役所から確定申告のお知らせが来るのが珍しい。

 

過去記事からマンション売買の収支決算の貼り付け記事

27年前購入した値段1600万円+仲介手数料60万円+管理費等400万円=27年間の住居コスト 2060万円。

27年後に売れた値段300万円

差し引き1300万円のマイナスなので税金はかかりません。

 

セルフリフォームに35万円、仲介手数料15万円。

結局、苦労の末250万円が手元に残った。(こうしてみると、不動産会社は儲けすぎだと言わざるえない。)

 

 

マンションは1400万円くらいの赤字なので申告の必要すらないと思っていたが、念の為に税務署に電話で確認した。予想通り、申告は不用との確認ができて葉書きはそのまま引きだしの中へ保管しました。一件落着。

 

 

 

 

 

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