「両親を告発する、僕を生んだ罪で」
少年がそう訴えた理由は映画「存在のない子どもたち」を観てくれれば分かる。
このブログは私の人生を書くブログなのだが、今回にかぎり映画中心の記事になる
これは映画でありフィクションではあるが、映画のテーマがあまりにも大きいため、ほかの軸は必要ないし混在することはできないと感じたので、
今回のブログは映画の記事一つだけにした。
数十年前にもアメリカで10歳の少年が実両親から親権を剥奪する裁判を自ら起こし勝訴したことがある
その少年は、実の親ではなく育ての親に親権を持ってもらいたかった。そのとき子どもが親を選べることが知られたが、その道のりはとても厳しい。数々の手続き、問答、誹謗中傷、精神的苦難を乗り越えてからでないと実現できない。
私の場合は、戸籍名を変更することを選んだ。
親権に触れるのは不可能だった。なぜなら、儒教や家父長制に牛耳られている日本の親権は異常に強かった。さらに、私が親を虐待を理由に告発できる精神状態になったのは、民事事件で訴訟を起こせる時効20年をはるかに超えてしまっていた。
親から逃げる意思表示は早いほうがよい
だから、親から逃げるために残っている法的手段は、家庭裁判所の審判で親と同じ戸籍名を変更することで親を拒否しているという意思表示することだけだった。そうしておかないと、いつまでもつながりが切れない。もたもたしているうちに「介護の義務」なるものを押し付けられるだろう。
性暴力をした相手の下の世話を強制されたら?
もし、他人に路上で性暴力を受けたとして、役所から「あの加害者の介護はあなたの責任ですから」と言われたとしたらどうですか?想像してみてください。
だから親が加害者の場合、性暴力をされその結果苦しい人生を送ったということは、はっきりと言わなければならない。証拠を残さなければならない。
加害親の介護はしなくてよいのです。
平成23年の改正で、「親権が子どもの利益のためのものである」ことが明記された
これによって、「親権制限制度」、「未成年後見制度」が平成24年(2012年)から運用されている。
同時に、最長2年間の「親権停止」制度もやっとできた。
私の事例には間に合わなかった。私は法律も制度もない中、個人で闘った。
「こども」という表記について
タイトルの「存在のないこどもたち」という表記はGYAO!の翻訳では「子供」となっているが、子供の「供」という漢字は「従属者」「おとも」「家来」の意味を持つので、気になる人々は30年前から「子ども」という表記を使っていることをご了承ください。
子どもは付属物ではない
子どもを自分の付属物ととらえることから、すべて歯車が狂っていく。虐待ともネグレクトとも思わず、自分は苦労して子どもを育てていると思う親のいかに無自覚なことか。
苦労はしていないとは言わない。しかし、生んだ以上はその存在に敬意を払うべきだろう。自分の子どもに敬意を払う感性があまりにもなさすぎる。
その感性が自分に無いと思ったから私は子どもを持つことをやめた。
映画「存在のない子どもたち」のあらすじ。GYAO!で3/10まで無料配信
ぜひ観てほしい。
『キャラメル』などのナディーン・ラバキー監督が、中東の社会問題に切り込んだドラマ。主人公の少年が、さまざまな困難に向き合う姿を描く。ラバキー監督も出演するほか、ゼイン・アル・ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレらが出演。第71回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したほか、第91回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
12歳のゼインは、中東のスラムで両親とたくさんの兄弟姉妹と住んでいるが、親が彼の出生届を出さなかったため身分証明書を持っていなかった。彼は11歳の妹と仲が良かったが、知人の年上の男性と無理やり結婚させられてしまう。怒ったゼインは、家を飛び出して職を探そうとするが、身分証明書がないため仕事ができなかった。
メイキング映像
主人公のゼインを演じた少年はシリアからの難民とのこと。ノルウェーに逃れやっと日常を取り戻したとき、監督から映画に誘われ「演技がしてみたい」と思ったそうである。それにしては卓越した演技力に圧倒された。
「育てられないなら生むな」に内包する問題点
育てられない人の中には、障害者も含まれるのか?「子どもを生んではいけない人」とはどんな人か?
手がない、足がない、目が見えない人はどうか?
障害がある無しは問題にならない
そのことは問題にならない。子どもを育てられないとは、自分が生んだ子どもに責任をとれない状態をいう。あるいは責任をとろうとしないと言い換えてもいいだろう。
責任をとろうとしないことが問題なのだ
人間は野生動物や犬や猫とは違い、産み落とした後エサを与えるだけでは済まない。人間社会の社会規範を学ばせることが必要だ。複雑なそれが大変なのだ。
子どもを作る前に、育てられるのか十分に考えてほしい。
気づかないままに虐待しないために。