改氏名について当事者からの問い合わせが増えています
なので、私が成し遂げた戸籍名の改名について説明します。
改名の経緯は「もう、沈黙はしない」に詳しく書きました。
実務については本を読んだ後でなにか疑問質問意見があったらメールをしてください。
個人的にお応えしていきますので。
(裁判官、調査官など裁判所との付き合いには、ある程度かけひきが必要ですが、それを公にはできませんので、個々の事情に合わせてアドバイスを致します。)
私が知っている改名の方法は本に書いた以下でも、以上でもありません。ただし、日本で1人目の穂積純さん(「解き放たれる魂」)
2人目の矢川冬(「もう、沈黙はしない」)
もし、虐待を事由にして改名に成功した方がいらしたら、何らかの方法(ブログのコメント、本に載せたメルアド宛てなど)でお知らせいただけないでしょうか。情報を共有させてください。
婚姻や養子縁組、永年使用などでなく、きちんと裁判官に「性虐待を理由にしたい」と申し出た方の存在が知りたいと思います。
でも、氏名のことで苦しいなら、そこまで苦しい思いをして闘わなくてもいいのです。できる方法でさっさと変えてしまっていいとも思います。それは、変える本人が選択すればよい。
ただ、私は、
「実父からの性虐待を事由にして、戸籍名を変更することを許可する」という裁判官の文言がどうしても欲しかった。
家族から拒否され、後遺症で入院したのに医者にも非難され、人格を否定された。
そもそもの犯罪があったことは信じてもらえず、
家族との会話はねじれたまま、自尊心が回復することはなかった。
だから、「性虐待をした父親は不正だ」と裁判官から審判を出された時が、性虐待をされてから初めて私の正当性が認められた時でした。
38年たっていました。
私にとっての正解ですが、正解は人それぞれだと思います。
20代の私の心と体
どうやっても、何をしても、汚された心が癒されない。私は自分の体が嫌いだ、捨てたい。
憎しみと怒りだけが生きる原動力だった。
それなのに、名前を呼ばれるたびに加害者の父親から復讐されているような気持になる。
吐きそう。何とかして。自分を傷つけたい。汚い自分が憎い。
加害者の実父は「お前の身体なんだから、自分で何とかしろ」とへらへら笑った。
。。。。。。。。。。これが、20代の私だった。
20代は、性虐待被害者にとって最も過酷な年齢です。性ホルモンが子どもを作るように作用するから、「女性」としてのホルモンが自分の心を裏切るように暴走する場合がある。
それは、まるで嵐の暴風雨の中にポツンと立っているかのようだ。その時期です、誰かに、何かにすがりたくなるのは。いたしかたない。それは耐えられるような嵐ではないから、おおいに失敗すればいい。
とにかく、20代はやり過ごすしかない。数々の過ちを繰り返す自分を、自分で見限ってはならない。あなたが悪いのではないし、その嵐はいつか止むのだから。
人格乖離現象
こんな思いを抱きながら私が仕事を続けられたのは、もう何人かの自分がいたからだ。羽馬千恵さん(「わたし、虐待サバイバー」)ほどではないが、
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私も乖離して多人格で生きていた。そうしなければ、生きられなかったから。
羽馬さんの人格たちはお互いを知らない場合もあったそうだが、私の人格たちはお互い知っていて協力体制をしいて、主人格である私を支えてくれた。だから、行動したことが記憶から消えるということはなかった(多分)。それは、とても助かった。
このメカニズムは虐待直後の小学5年の時にはすでに出来上がっていた。
そのことは下の過去ブログに書いた。私に出てきたピエロは「ITーそれを見たらおしまい」のピエロとは違い、恐怖で死なせるのではなく、恐怖を克服するように励ましてくれた。詳しくは下記過去ブログで。
30代~40代の私
30代~40代は、曇り空が続くだろう。鬱々とした日々。この20年もいつか終わる。その責任の大きさを考えず結婚してしまい、子どもができてしまい、そのために力量を越えた余計な苦労を背負いこむ時期でもある。
自分に結婚、子育ての力量があるかどうか見極めよう、だめだと思ったら潔く諦めよう。もちろん、虐待後遺症がありながらも、子どもを慈しんで育てている人はたくさんいる。
自分自身の見極めが肝心ということ。私はどうしても自分が親になるというイメージが持てなかった。(そんな状態では絶対に子どもを持ってはいけない。子どもを持つには資格が要る。)
そうすれば自分だけはなんとか生き残れるし、新たな被害者を生まなくてよいのだ。私たちには生き残って語り続ける責務がある。なかったことにされた人生があることは、必ず世の中に知らせなければならない。
なぜなら、いつでも、誰でも、なかった人にされるかもしれないからだ。
自律と自立を肝に銘じて、生きる。
50代以降の私
50代からは正気がもどってくる。本来のすがすがしい自分が顔をだす。それからは、自分が自分として生きていける。嵐や黒い雲の時代を通り抜けてきた自信が内にある限り揺らがない。
生きてさえいれば、残りの人生をじっくりかみしめて生きていられる。この幸せは、耐え抜いて、闘った自分への自分からのご褒美なのだ。生きているだけで幸せなのです。
依存について
苦しいと、何かにすがりつきたくなる。けれど、すがりついたら負けだ。
自分を救うのは自分しかいない。
ドラッグ、アルコール、セックス、ギャンブル、これらにすがりついても良いことは一つもない。そんなこと知ってる、でも、どうしようもない。と思う人もいるかもしれない。
何度かおぼれても立ち直れるならおぼれてしまっても、死ぬよりいいかもしれない。
しかし、ドラッグ(とくに覚せい剤)だけはやめておこう。体内に一度入るとヤツラは出ていかない。むさぼられるのはあなただ。すがったつもりが、逆に一生すがられてしまう。アルコールなどは強い意志があれば依存から抜け出せる人もいるようだが、ドラッグは薬だ、人間は負ける。
依存したい心を追い出せ。
他力本願は宗教の常套手段、人を搾取する道具なのだ。すがりつくなら見返りをよこせ、信者を集めろ、お布施をだせ。すがりつく心がつかの間安心感に包まれて、搾取が有難い庇護にみえてしまう。
ドラッグも同じ。陶酔感と開放感の代償は大きいぞ。自分だけならいいかもしれないが、他人も巻き込み不幸にする。
私が憎むのは、差別
自分を高みに置くために自分以外の種類の人間を貶める行為=差別が蔓延している。愚かな人間は差別していることさえ意識しない。
健常者ー傷害者、男性ー女性、教師ー生徒、先輩ー後輩、きりがない。強弱の立場のちがいがすぐさま差別を呼ぶのは、人間が愚かなのだ。自分が何者でもないという自覚がたりない。
特に日本には哲学がない人間が多い。恐らく、島国で他国からもまれてこなかったせいだろう。何も考えず、付和雷同し同調するだけで生きてこれたのだろう。
戸籍名変更について書いた「もう、沈黙はしない」の図書館収蔵状況
2019年11月10日現在、47都道府県のすべてに収められ、貸し出し準備中はあと2県となりました。山梨の甲府市立中央図書館は「貸し出し不可」となっていたので借りられないのかと驚き電話してみたら、「現在借りている人がいる」ので、「貸し出し不可」です、とのことで安堵しました。「貸し出し中」のほうが判りやすいのですが。おー、山梨でも読んでくれているぞー。
以下、寄贈状況一覧表の最新版です。わっとさん(id:watto)や他の人から、情報を頂き感謝します。間違いがあったらご連絡いただければ幸いです。
47都道府県図書館寄贈がコンプリートしたお祝いについて
コンプリートのお祝いにシェルター(ホーム)の部屋の画像などを、特定できない範囲で公開しようと思いましたが、止めたほうがよいというアドバイスを下さった方がいて、受け入れました。
ゆえに、お祝いには私が撮った画像ではなく、ネットに存在するかぎりなく近い画像を載せることにしました。その画像をお祝いとして少しずつ載せていきます。雰囲気は伝わるかもしれません。
手始めに、庭に山茶花がちょうど咲いていますので、ネット画像をアップしてみました。ほぼ同じです。